4月例会『たちあがる女』

自然を愛し戦い続ける女性の物語


 『たちあがる女』はコーラス講師と環境活動家、二つの顔を持つ女性ハットラが、新しい家族を迎え入れ、母親になる決意をしたことから巻き起こる騒動をユーモラスに描くヒューマンドラマ。
 雄大なアイスランドの自然と叙情的な音楽に彩られた現代のおとぎ話ともいえる物語は、とぼけた味わいとコミカルな笑いを醸しながらも、いまの人間社会において見逃してはいけない問題を皮肉たっぷりに浮かび上がらせていく。

あらすじ


 アイスランドの田舎町に住むハットラは、セミプ口合唱団の講師。彼女は周囲に知られざる、もうひとつの顔を持っていた。
謎の環境活動家“山女”として、密かに地元のアルミニウム工場に対して、孤独な闘いを繰り広げていたのだ。
 そんなある日、彼女の元に予期せぬ知らせが届く。長年の願いだった養子を迎える申請がついに受け入れられたのだ。母親になるという夢の実現のため、ハットラはアルミニウム工場との決着をつけるべく、最終決戦の準備に取り掛かる―。

魅力的なキャラクター


 戦闘の女神アルテミスのようなハットラの姿は、矢を射るシーンなど、見ているだけで格好よくワクワクする。彼女の身のこなしはなめらかで洗練されていて、まるで女神のようだ。
 凍土の氷の溶けた隙間、氷河、冷たい川が、ハットラを隠し、冷えた身体を温泉が暖める。柔らかな大地にうち伏してミズゴケの匂いを胸いっぱい吸う彼女の自然にむけた深い愛情。ハットラは自然を味方にして、戦いを挑んでいるのだ。
 自然を愛し、孤高の戦いを続けるハットラの、絶対倒す、「負けない」でも「勝つ」でもなく、倒す、という気迫に圧倒される。
 彼女は、一方で養子を引き取って母親になろうとする女性。養子になる少女は、ウクライナから来たというのが興味深い。チェルノブイリ原発事故で、放射能汚染による環境破壊があった過去を持つ土地から、自然豊かなアイスランドにくる子ども。子どもを育てようとするハットラからは環境破壊はまっぴらごめんだという強い意志を感じる。
 彼女は自然と音楽を愛し、幸せを手に入れるために行動することを躊躇しない強く自由な女性であり、男女平等度で10年連続1位を保っているアイスランドの土壌が反映されたような人物像なのだ。
警察の追跡から逃れようと、力尽きて死にかけているハットラを助ける牧場主。何も聞かず、何も問わず黙って低体温で半分心臓がとまりかけているハットラを温泉に放りこんで救命し、警察の警戒網を突破する。
ハットラが追い詰められた時、牧場主は彼女を助けるのは、彼も自然の恩恵を受けていると信じる人間なのだと思う。
 ハットラが警察から逃げているときに、3回も同じスペイン人バックパッカーが、ハットラの身代わりのように警察に逮捕されるのが可笑しい。彼が登場するたびに大笑いしてしまうけれど、精悍な顔をした好青年だ。

 

自然破壊と私たちの世界

ハットラが撒くチラシには
「自然破壊と温暖化は地球上の全生命に対する罪だ。許されないことだ。みんな立ち上がろう」と書かれている。
 ハットラがなぜ山女として戦うのか?彼女は自然破壊に危機感をもち、今行動しないと後戻りできないと立ち向かう決意をしているのだ。
 監督が温暖化に危機感を持っているがゆえに、この脅威と闘う女性像が生み出された。
 舞台になっているアイスランドを含む北極圏では、年々温暖化の脅威が進んでいるという。永久凍土の融解は生態系に影響を与え、さらに永久凍土の下に眠っているメタン(二酸化炭素の約30倍の温室効果がある)の排出につながってしまう。
 日本でも温暖化が原因と考えられる豪雨被害がみられるようになってきている。
 ハットラはアルミニウム工場の操業を停止させ、撤退させるため闘う。大地にいくつもの送電線が林立し、アルミニウム精錬工場まで延々と電気を送っている無惨な風景は、自然破壊を進める工業化の象徴ではなかろうか。温暖化の深刻化が増してきている今こそ、ハットラがなぜ行動するのかと立ち止まって考えてみてほしい。
 アイスランドのリアルな自然が生の地球を感じさせてくれる。人間の営みが全体の中のほんの一部であるのにその影響の大きさが実にアンバランスであることを訴えてくる。
 資本主義に毒された人々が支配する社会では、人間はおろか生物も生きられなくなることは、既に分かっている。ハットラは、それに気づき変えようと行動している人たちの象徴にみえた。

 

雄大な自然とユニークな演出

 この作品のもう一つの魅力は、アイスランドの自然豊かな風景と、登場人物の心を表現するかのようにあらわれる音楽隊だ。
 ハットラが山で走り回っているときに、突如ドラムとピアノ、ホーンの三人の楽隊が現れ演奏する。ドラムが彼女の早鐘のような心臓の音を鳴り響かせる。
 彼女がウクライナから養子をもらうことになった途端、三人のウクライナ女性が民族衣装を着て登場して歌い出す。ハットラが合唱団を指揮したあとの帰り道自転車を走らせるバックミュージックは合唱だ。彼らはハットラの頭の中に住む存在なのだろうか。
 映像に音楽を演奏する楽隊を登場させるという斬新でスタイリッシュな方法の面白さ。このようなユニークさがこの作品をより面白く、より深めている。
「自分らしく生きる一人の女性」を通して、人間の強さと優しさ、そして寛容さを謳い上げ、生きていく中で一番大切なものを気付かせてくれる『たちあがる女』は、爽やかな感動を呼ぶアイスランド発・痛快ヒューマン・エンターテイメントなのだ。
(陽)
 参考文献:全国地球温暖化防止活動センター(HPより)