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解説

どんな状況の中でも 人間らしさを保つことの大切さを静かに描く


 『みかんの丘』はジョージアとエストニアの初の共同製作作品です。ウルシャゼ監督は「世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さを描きたかった」と語っています。
 19世紀後半のロシア帝政時代に、多くのエストニア人がアブハジアに移住し、開墾、集落を築きました。みかんはアブハジアの名産品として名高い。戦争の不条理と人間性の尊さを描く感動作は、世界の映画祭で数多くの賞を受賞しました。

あらすじ
 ジョージア西部のアブハジアでエストニア人が昔から住む集落。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、多くのエストニア人は帰国したが、みかん栽培をする二人の老人イヴォとマルゴスは残っている。マルゴスはたわわに実ったみかんの収穫が気になるからだが、みかんの木箱作りのイヴォは本当の理由を語らない。
 ある日、彼らは戦闘で負傷した二人の兵士をイヴォの自宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。彼らは同じ屋根の下に敵兵がいることを知り、互いに殺意に燃える。イヴォが家の中では決して戦わせないというと、家主が力を持つコーカサス人のしきたりにのっとり、兵士たちは約束する。イヴォの手厚い介抱によって彼らはしだいに回復してゆくとともに、敵兵に人間として関心を深めてゆく。そんななかアブハジア人がイヴォの自宅を訪れる…。

 ジョージアと独立を目指すアブハジアとの戦争。それを見つめるのはこの紛争の「部外者」であるエストニア移民の老人イヴォ。
 戦争とその不条理を淡々と描く作風は、ドラマチックな作劇よりもかえって心にしっかりと染みるのでしょう。
 この作品は、戦争の虚しさを伝える淡々とした表現が逆に新鮮な切り口と感じられ、彼の国の緑豊かで静かな環境も相まって、じわじわ見る観客の心に染みてきます。
 登場人物は敵対するジョージア人とアブハジア側の傭兵であるチェチェン人、そしてこの地に住んでいるエストニア人です。それぞれ異なるバックグラウンドを持った男たちが、狭い小屋で生活していくうちに、戦争の愚かさに気付いていきます。
 イヴォは何度も二人に問いかけます。お互い何が違うのかと。
 言葉数は少ないのですが、発せられる言葉の意味合いが実に深い。意味のない会話のようでありながら、物語が進むうちに答えが心に響いてきます。
 そして主人公のイヴォをはじめ、出てくる役者が実に上手い。
 この映画の優れた点は、どの国にも片寄らず、公平な視線で描ききっていること。そして登場人物の内面を丁寧に描いていること。そうすることによって、この紛争に限らず戦争の空しさが観る者に自分のものとして伝わってきます。

 イヴォとマルゴスがこの地に留まるのには特別な理由がありました。
 イヴォは、息子がこの戦争で出兵して戦死し、この地に埋葬されているため、この地を離れ難く思っているからなのでしょう。
 マルゴスは、みかん栽培をしていますが、苦労して育てたみかんがやっと実りの季節を迎え、帰国の前に何とか収穫を終えたかったのです。それは決しておカネのためではなく、みかんを腐らせたくなかったからです。
 医師ユンスも兵士たちを治療してからエストニアへ帰りますが、彼も現地に住んでいたエストニア人を全員見送ってから自分は帰国しようと考えていたのではないでしょうか。
 イヴォもマルゴスもユンスもそれぞれの優しさを持っています。そんな彼らの姿が兵士たち二人の心を溶かし、兵士たちもひとりの人間として関係を作り始めたのではないでしょうか。

 兵士であるニカもアハメドも良い人間で、戦死した彼らの友人たちも同じでしょう。しかし、その人間同士が憎しみ合い、殺し合うのが戦争。
 息子を戦争で失ったイヴォにしてみれば、なぜ殺し合わなければならないのか、何のために戦うのか、息子はなぜ死ななければならなかったのか、そうしたことを考えざるを得なかったのでしょう。
 「戦争」とは何か。
 「国」とは何か。
 「領土」とは何か。
 「殺し合う」のはなぜか。
 「人間性」とは何か。
 いろいろなことを考えさせられる映画です。この作品をぜひ多くの人たちに観ていただきたいと思います。
 (陽)

参考文献:岩波ホールHP『みかんの丘』『とうもろこしの島』