🔳トップページ
10月18日(土)①11:30 ②14:30 ③18:00 神戸朝日ホール アクセス
2025年度会員入会の受付中
事前予約(電話、メール)受付中 1800円 → 1300円 078-371-8550

【解説】機関誌10月号より
「まだ明日がある!」
一通の謎めいた手紙がもたらす新たな決意の物語
『ジョルダーニ家の人々』(2010)や『これが私の人生設計』(2014)などシリアスドラマから大衆的なコメディまで幅広いジャンルの作品で活躍してきたイタリアの国民的コメディエンヌであるパオラ・コルテッレージの映画監督デビュー作『ドマーニ! 愛のことづて』。※「ドマーニ」はイタリア語で「明日」を意味します。
白黒で描かれる戦後まもない家族の物語に、「古い」という第一印象を抱くかもしれないけれど、意外性を秘めた一編となっている。
ストーリー
1946年5月、ローマ。デリアは家族と一緒に半地下の家で暮らしている。夫イヴァーノはことあるごとにデリアに手を上げる。介護が必要な義父は寝たまま、どうでもいいことをくどくど喋りながら彼女をこき使う。小学校卒業後働いている十代の娘マルチェッラは母の生き方に不満を感じていて何かと反抗的で、まだ小学生の二人の息子たちは言うことを聞かない。
貧乏で、食事も配給の時代。多忙で過酷な生活ではあるが、市場で青果店を営む友人マリーザや、彼女に好意を寄せる自動車工ニーノと過ごす時間が唯一の心休まるとき。マルチェッラが裕福な家の息子ジュリオからプロポーズされ、彼の家族を貧しい我が家に招いて昼食会を開くことになる。そんなデリアのもとに一通の謎めいた手紙が届く―。
抑圧の時代に生きて
朝、ベッドから起き上がり「おはよう」と言っただけで、デリアの頬には先に目覚めていたイヴァーノのビンタが飛んでくる。その後、何事もなかったかのように髪をとかし始める。彼女の平然とした表情から、夫のビンタがありふれた日常であることが読み取れる。
デリアは座る暇なく家事をこなし、いくつかの内職を掛け持ちして家計を助けている。内職の一つ、傘屋で仕事を指導することになる新入り男性の報酬が彼女より多いことを店主に問い質すも、「男だからな」のひと言。
イヴァーノはデリアを無能扱いし、彼女と娘の稼ぎを小遣い程度と馬鹿にしながら全部取り上げ、自分は二度の戦争に行って苛立っているからと、夜は友達とカードをしたり女を買いに行ったりしていた。デリアには予定外の外出を咎めだてするのに。
娘マルチェッラは、母の苦労を見かねて、時折きついことを言う。同意しかねる言葉もあるが、「出ていけば」という一言には、多くの人がうなずくだろう。デリアは何を考えているのか。その姿から見えてくるのは、理不尽な抑圧の中でも悲喜こもごもの日常があり、そこで交錯する、絶望と希望、愛情と葛藤。娘に自分の人生を「無意味で無価値」と否定されるデリアの痛みが突き刺さってくる。
主演を兼ねるパオラ・コルテッレージ監督が「これは1940年代後半のイタリアのごく普通の家族の物語です。日常的に家庭内で繰り返される暴力や権力の濫用が、まるで当たり前のように受け入れられていました。この映画の構想は、私の祖母たちが語ってくれた話に着想を得ています。その中には、笑い話のように語られる過酷な現実がありました。彼女たちは、困難な状況を他人と共有しながらも、人生の喜びと苦悩を同時に抱えて生きていたのです。これらの話には、歴史に名を残すことのなかった〝普通の女性たち〟が登場します。彼女たちは、当時の社会規範を疑うこともなく、虐げられる日常を受け入れていました。そして、それは今なお続いている部分もあります」と作品に寄せたコメントで述べている。
イタリアで男女平等を基本にする憲法が制定されたのは1947年。法的に離婚を認める離婚法が成立したのは1970年。1946年に生きるデリアには、殴られようが蹴られようが今の結婚生活から逃れる術はない。そして、デリアが仕事をもらっている金持ちの奥様たちもまた、夫から虐げられる立場であることに変わりはない。
個性的な作りで
戦後イタリアの庶民、とりわけ今よりずっと不自由な状況に置かれていた女たちをめぐる映画。モノクロームの映像と相まって、往年のネオレアリズモへのオマージュに溢れながらも、新しさを感じさせる個性的な演出がなされている。
冒頭、家族の朝の風景を見せるシーンのスクリーンサイズは縦横比四対三で、昔の映画を思わせる横幅狭めの映像だが、デリアが街に出ると幅が広がる。脇目もふらず通りを歩いていく様子を横から映し出していく背景にはビートの利いた音楽が流れている。また、激しい暴行を受けるいくつかのシーンでは、陽気な曲にのってダンスの振り付けのように描き、映画の空気を沈ませない。
デリアが少しずつへそくりを貯めていたり、彼女が家庭内暴力を受けていると知るアメリカ人憲兵との言葉が通じないながらの交流や、貧富の差への風刺を含むユーモラスな描き方に気分が軽くなっていく。そして、DV夫と正反対の気弱いけど優しそうな元カレ(?)ニーノから「北部へ行ってもっと稼ぐつもりだ」と告白されて心揺れる様子が描かれ、その後どうなるのかと画面に引き込まれる。
小さな声が集まって
ドラマを根底で動かしているのは、何かと反抗されているものの、娘に寄せる愛情だ。父イヴァーノから「女に学は要らない」と進学を許されず、家から出るためにも玉の輿に乗ることに女の幸せを見出している娘。デリアは「自分と同じ過ちだけは犯してほしくない」と考え、娘が賢い選択をしてくれることを願っている。娘と相思相愛のジュリオはやさしく裕福で、願ってもない良縁のように思えたのだが、彼にDV気質の芽を感じ取ったデリアが思いを過激に遂行するエピソードは、ぶっ飛びすぎてのけぞってしまう。
デリアはやがて新たな旅立ちを決意する。彼女が悩みを打ち明けてきた友人マリーザにアリバイを頼み、新調した服とへそくりなどを鞄に入れる。ニーノとこの家を出て行くかの段取りである。だが、足止めされる事態となり、それでも「まだ明日がある!」と前を向く。よすがは、あの手紙だ。彼女がどうするか、たぶん、多くの人が予測していたのとは違うことが起きる。
かつて圧倒的弱者の立場にあった〝普通の女性たち〟が自分が生きる現在だけでなく、娘が生きる未来をも見据えて、勇気をもって行動した。ひとりだけでなく、たくさんいた。「約300人のエキストラがそれぞれ感情を込めて動いてくれた。その瞬間は胸がいっぱいになりました」と監督が語るラストシーンで、小さな声が集まって叶えられる希望の始まりが告げられたのである。(ゆ)
