9月例会(第627回)
お坊さまと鉄砲

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9月13日(土) 例会終了  神戸朝日ホール アクセス

“初めての選挙”で揺れる山の村。 銃を巡って巻き起こる大騒動!
ブータンで行われる初めての選挙。 村の徳の高いお坊さまが言いました。
「次の満月までに銃を二丁用意せよ」
若いお坊さまは銃を探しに山を下りるのですが……。

 長編映画監督デビュー作の『ブータン 山の教室』(2019)が世界中でサプライズヒット、第94回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされ、ブータン映画初のオスカー候補という歴史的快挙を成し遂げたパオ・チョニン・ドルジ監督、待望の第2作。前作では秘境ともいえる地で、伝統を守りながら生きる人々の暮らしを活写しつつ、“学ぶ”ことによって未来は切り開かれていくのだと示した監督が、今回モティーフに選んだのは「選挙」。初めての選挙によって“変化”を求められ戸惑う村の人々の姿を、前作同様、温かい眼差しと飄々としたユーモアで紡ぎながら、本当の幸せとは何かを、観る者に問いかける。
 アカデミー賞Ⓡ前哨戦と呼ばれる第50回テルライド映画祭でワールドプレミアされるや批評家たちがこぞって大絶賛。「本映画祭全上映作の中で、3本の指に入る傑作」(DEADLINE)、「刺激的で鋭い洞察力に富んだ風刺コメディ」(THE HOLLYWOOD REPORTER)、「素晴らしい!茶目っ気のある批評性」(VARIETY)などと評された。続くトロント国際映画祭、ローマ国際映画祭など世界各国の15以上の映画祭に招かれ、一般観客の投票によって選ばれる観客賞4つを含む6つの賞を受賞。前作『ブータン 山の教室』同様、アカデミー賞Ⓡ国際長編映画部門ブータン代表に選出され、今作ではショートリスト入りを果たした。アメリカの映画批評サイト「ロッテントマト」では批評家によるスコアが94%フレッシュ、一般観客によるスコアが100%と高い満足度を示している。

【解説】機関誌9月号より
      2025年の我々がこの映画を見る

はじめに
 この映画は、2006年のブータン王国を描いたものです。
 王国であるブータンは、王の意向によって、国民の代表が政治を行う立憲君主制へと移行するために、はじめての選挙を2008年に行うことを決めます。その事前の取り組みとして、模擬投票を行います。田舎の村に、模擬投票を成功させるために政府の役人が来ます。
 その時に、村の偉いお坊さまが鉄砲を二挺、捜して持ってこいと弟子に命じます。さらに古い鉄砲を買い求めたいという米国人もこの村にやってくるという三者の鉢合わせが生じて、ちょっとしたドタバタ喜劇のような映画でした。
 民主主義の国に変わるために、その中核的制度である選挙を、田舎暮らしの多くのブータン人がどのように受け止めたらいいのか混乱した状況を描きます。民主主義を否定するものではありませんが、制度を生かすために何が必要か、考えさせます。
 同じようなことが「与えられた民主主義」の戦後日本でもありました。
 『ブータン 山の教室』(2019年)を作った監督パオ・チョニン・ドルジが、2023年にこの映画をつくった意味を考えました。
 ブータン人の混乱を描きながら、2016年からの3回の米国大統領選挙において展開されたトランプ陣営の嘘と誹謗中傷、国民分断の選挙戦略を意識しているのかな、と思いました。最近のSNSを使った日本の選挙にも同じような状況が生まれています。
 民主主義の象徴である選挙が社会に差別と分断、それまでの共同社会的な平和な生活を壊している、そういう側面を指摘しています。

21世紀のブータンの村
 テレビはまだ各戸に普及していません。村の中心にある飲食店に、多くの人が集まってテレビを見ています。ニュースやダニエル・クレイグ主演の『007 カジノ・ロワイヤル』が放映されていました。
 携帯電話がありインターネットも見ることが出来るようです。
 その一方で小学生が消しゴムを欲しがりますが、村の市場には置いていない商品文化のレベルです。
 選挙担当の政府の役人がやってきて、選挙を成功させるために、村人たちに働きかけます。有権者登録等の手続き、自分たちの代表を選ぶということはどういうことか、政党の選挙公約等も説明しますが、なかなか通じません。
 自分の生年月日を知らないという落語のようなシーンもあります。
 国全体で選挙の準備が進み、具体的な政党や候補者が出てくると、村の中で誰を支持するのかで対立が生まれました。仲が良かった親族に亀裂が入り、子どもの世界にも影響が出ます。
 今まで平穏だった村で「こんなことになっても選挙が必要なのか」という村人の意見がありました。
 選挙を実施すると聞いた村の高僧は、理由を言うことなく若い弟子に「満月の夜までに二挺の鉄砲を持ってこい」と命じます。
 そんな村に、アンティークの鉄砲を求めて米国人がやってきます。旧家のおじいさんは英国と戦った第一次ドゥアール戦争(1864~65)の時に使われたライフルを見せます。それは米国の南北戦争(1861~65年)の時に作られたものでした。「ブータン人の血を吸っている」といいます。
 米国人はかなり高額の値段を提示しますが、おじいさんは「高すぎる」と言います。値段を下げると「それなら私も気が楽だ」と交渉が合意します。
 米国人は現金を持ってくると言って帰りました。その後に、若い坊さまが来て、その鉄砲が欲しいというと、おじいさんは無償で譲ります。
 おじいさんの中では商品の交渉や契約、ましてや高額の札びら等は何の価値もなく、お坊さんの求めるものに応えることが何よりも大切であることがわかります。
 鉄砲が坊さまに渡ったことを知った米国人は、彼に現金を示し「二挺どころか十挺は買える額」だといいますが、坊さまは「金を貰っても使いようがない、鉄砲も十挺もいらない二挺あればいい」といいました。
 結局、若い坊さまは映画で見た007が使っていた銃(自動小銃AK四七)が欲しいと言い、それと交換するという約束をしました。
 この当時のブータンの村では、拝金的な市場経済とは価値観が違うというエピソードです。

民主主義をつくるもの
 満月の夜ではなく昼間、偉いお坊さまが寺から村へ降りてきて法要を行います。古い鉄砲とAK四七がそろいました。この時になぜ鉄砲を求めたかがわかりますが、ここでは書きません。どきどきしながら映画を見てください。
 映画の焦点は選挙で混乱するブータン人たちです。彼らを見て、民主主義と選挙を考えました。
 ブータンは生活の全てでチベット仏教の影響が大きな国であり、王様が善政を敷いて、国民総幸福度を指標にする国でした。資本主義や商品経済の発達は不十分な社会で、もちろん20世紀末から世界を席巻したグローバル経済の影響も小さい国です。
 西欧諸国で発達してきた民主主義と不可分の人権意識、個人の尊重、思想言論の自由などはまだ普及していません。戦後日本にも残っていた農村の共同体的な社会と似ていると思いました。
 民主主義には公正な選挙制度が必要ですが、有権者の意識の醸成も求められます。この映画では、政策の違う政党を色分けして説明しますが、村人はそんなこととは無関係に全員が王室の色、黄色に投票しました。

選挙公約に無頓着です
 また意見や要求の対立、政党支持の違いによる村人の対立、村の分断をどのように乗り越えるのかも大きな課題だと示します。
 さらに民主主義は、多数決の結果ではなく、少数意見の尊重、情報の公開や多様な国民を反映した議論が必要です。 
この後、ブータンの民主主義がどのように発展するのかわかりませんが、現在の世界の民主主義と選挙は危機的な事態になっていると思います。(Q)