5月例会(第623回)
星くずの片隅で

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5月17日(土)①11:30 ②14:30 ③18:00  神戸朝日ホール アクセス
2025年度会員入会の受付中

街の光、朝焼けの空、小さな窓から見上げるまぶしい太陽…。
コロナ禍の静まり返った香港の片隅で、
誰にも気づかれずに生きる人々の孤独な心を、
新世代の香港映画の旗手がやさしい眼差しで掬い取ったヒューマンドラマ。

『星くずの片隅で』が描く、コロナ禍の香港で支えあう人々【アンジェラ・ユン×ラム・サム監督インタビュー】 | LEEラム・サム監督 映画を語る

ラム・サム(林森 LAM Sum) 監督 <PROFILE>
1985年生まれ。香港演芸学院電影電視学院演出学科卒業。短編映画やドキュメンタリー映画の制作のほか、映画制作の講師としても活動。代表作に短編『oasis』(12)、共同監督作『少年たちの時代革命』(21/日本公開 22年)など。本作が初の単独長編監督作。2022年よりイギリス・ロンドンを拠点に活動する。
孤独な人が助け合い、心を寄せあう姿を温かく描く

 『少年たちの時代革命』で共同監督を務めた香港のラム・サム監督が単独でメガホンをとり、コロナ禍の香港の片隅で生きる人々の孤独な心を、やさしい眼差しと美しい映像で紡ぎ出したヒューマンドラマ。
 こんな時代だからこそ、一歩近づいてお互いを見つめ、助け合う姿が、小さな希望を与えてくれる。中年男を演じたルイス・チョン、若いシングルマザーを演じたアンジェラ・ユンが素晴らしい。

物語
 2020年、コロナ禍で静まり返った香港。「ピーターパンクリーニング」を経営する中年男性ザク(ルイス・チョン)は、車の修理代や洗剤の品薄に頭を悩ませながら、消毒作業に追われる日々を過ごしていた。そんな彼のもとに、職を求める若いシングルマザーのキャンディ(アンジェラ・ユン)が現れる。最初は仕事に不慣れで失敗が続くが、次第に仕事に順応し、ザクとの間にも信頼が生まれていく。
 しかし、キャンディが仕事の中で巻き起こすトラブルが二人の関係を揺さぶる。さらにザク自身も会社経営の厳しい現実に直面し、追い詰められていく中で、二人がどう向き合い、どのような選択をしていくのか…。

 微笑ましいシーンやコミカルなシーンも交えながら、コロナ禍の香港の複雑な状況を、複雑なまま鑑賞者の心に届かせた力量が見事。民主化デモがコロナと共に鎮圧されるような状況になる中で、金持ちは海外に移住し、香港に残る人々は中国との微妙な距離感を抱えつつ、苦しくてもしたたかに生きようとしている様子が、過不足なく描かれている。
 
 シングルマザーのキャンディと娘(ジュー)も、ちょっぴりズルをしながら、経済的には厳しくても、明るさを失わない。キャンディとジューは生命力の象徴として描かれる。どんなに困難な状況でも自分の世界で生きている。
 今作では、「ピーターパンクリーニング」に清掃を頼む富裕層は一切出て来ないが、ザクとキャンディが清掃する部屋を見れば、富裕層の家だとすぐに分かる。そして、頻繁に出て来る「欧米への移住」と言う言葉も、香港の貧富の差を示している。

 キャンディは小さな娘を抱えたシングルマザー。仕事を与えるザクも最初はあまり信用していないが、少しずつ実情を知るうちに見過ごせなくなる。段階を踏みつつ、そうやってシングルマザーの現実がいかに過酷なのかを私たち観客も少しずつ知らされていく。

 たとえばコンビニに親子がいる事に気づき、それもアイスクリームを万引きしているところを店外から見てしまう場面。さりげなくその場をしのぐけれど、残るしこりが、こういう場面の積み重ねで少しずつ大きくなっていく。
 胸に迫りつつ決して声高ではないが、観客が「あ、この親子はどうもギリギリだぞ」ということに気がつくように物語は作られている。その「ギリギリ」とはシングルマザーゆえの不安定な境遇で、以前なら回避できていたのに、コロナ禍での失業で一気にバランスを失った人々だ。まっさきに助けられるべき人なのに、見つけられる事もなく沈んでいく人々。

 経済的に厳しいシングルマザーが、援助を受けるためには条件にいろいろ制限があり、市民から政府の支援が見えにくい、そして、すぐに助けてくれるシステムになっていない。そういった状況もこの映画には描き出されている。

 この映画の芯は、主人公ザクの誠実さだ。映像を通して伝わって来るのは、ラストシーンで、誰が見ていなくとも、汚れを放っておけずに黙って清掃する、彼自身のプライドの輝きだ。
 ザクの誠実さは、ズルさを生きる術にしてきたキャンディにも伝わっていく。ボールプールで見つけた時計を返したのは、娘からの催促がきっかけだったが、その娘が、ラスト近くのシーンでは、ドラッグストアで歯ブラシを万引きしようとする。それを目の当たりにして、自らそれを止めたキャンディの胸の中には、目の前の損得ではない、人としての尊厳への気づきがあったと感じる。

 登場人物に共感したりできなかったり、やっぱり幸せになって欲しいと願ったりしたのは、私だけだろうか。主人公のザクは人が良すぎる。人はすべてを失ってしまうと、そこまで誰かのことを思いやれるのだろうかと疑問に思えてしまうのだ。
 誰も見ていないところで自分の仕事でもない掃除を黙々とするザクに希望を感じる終わり方は、それでもザクの表情は嘘をつかない自分であることの誇らしさからか、ちっとも暗いものではないところに救いを感じられた。そしてその誠実さがちゃんとキャンディとその娘に伝わっていることにも胸をなでおろさずにはいられない。

 監督は、将来を悲観して海外に移住する人達が後を絶たないが「残った人たちが困難をどう乗り越えていくのかも表現したかった」と言う。
 そして「観客のみなさんに考えてほしいのが、自分がザクになれるかどうかということ。(中略)お互いに助け合える人が周りにいるのかを考えてほしい。
 戦争や災害など、世界全体でさまざまなことが起こっています。そんな中、自己中心的に生きていて、生き残れるのでしょうか。どんな辛い状況でもいい人になるというのは自分の選択です。お互いに助け合うことが大事なのではないのか。これを表現したいと思った先にザクが存在しています」と話している。
 この映画が描いているのは、孤独な人間が心を寄せ合える誰かを見つける過程であり、その温かな描写の裏にあるリアルに作り手の誠実さを感じることができる。
 こういう時代だからこそ、目の前で困っている人をどこまで支えるか、見る者に優しく問いかけ、そこに希望はあるはずだ、というメッセージが伝わってくる。そうあってほしいと私も心から願う。
(陽)