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驚きながら、笑って、泣いて! 意外すぎる感動作!
不愛想な上にすぐにカッとなるが、家族への熱い愛にあふれているシャルルを演じるのは、フランスを代表する大人気コメディアンのダニー・ブーン。『フランス特殊部隊 RAID』でセザール賞を受賞、本作のクリスチャン・カリオン監督作『戦場のアリア』ではセザール賞助演男優賞にノミネートされるなど、演技派俳優としても高く評価されている。「微笑むたびに人は若返る」など、思わず書き留めておきたくなる言葉で人を魅了するマドレーヌには、最もキャリアの長いシャンソン歌手のリーヌ・ルノー。エイズアクティビストと尊厳死法制化への活動の長年にわたる功績を称えられ、2022年には仏最高勲章であるレジオン・ドヌール勲章を受賞した。俳優としては、『女はみんな生きている』他でセザール賞助演女優賞に3度ノミネートされ、幅広い分野で活躍する国民的スター。 ブーンとルノーは実生活でも親交が深く、ルノーは「ダニーは私の息子よ」と公言している。本編中のシャルルとマドレーヌと同じく、彼ら2人も貧しい労働者階級出身で、ルノーは「これは私の遺言になる映画よ」と宣言しての本作への出演となった。
解説 機関誌3月号より
人生を変える出会い
92才の女性と40代の男が半日付き合う物語です。映画を追ってみます。
マドレーヌは医者からの「これ以上一人で暮らすのは無理だから老人ホームに入りなさい」という言葉に不承不承従って、パリ郊外の施設に入ることにします。
「お金になる」と呼ばれたタクシー運転手シャルルは、彼女の家に迎えに行きました。
マドレーヌの家から施設まで、ちょうどパリ市街を東から西へと横断する約20㎞の小旅行です。彼女は人生の思い出の場所を回るように注文します。それでも短い距離ですが、ちょっとした事件もあり、結果的に二人にとって至福の時間となりました。
マドレーヌは長いようで振り返れば短かった人生を反芻し、シャルルには人生を変える出会いとなりました。
この映画は二人の会話が中心で、それをパリの街並が聞いているような感じです。
邦題『パリタクシー』というのは、そんな外観からつけたようです。原題を直訳すれば「美しき旅路」です。
ほぼ一世紀を生きた女性
映画ではマドレーヌの前半生が語られるだけで、豪邸に住むようになる後半生は不明です。
聞き手であるタクシー運転手シャルルは、最初は上の空で適当な相槌を打つだけでした。年寄りの繰り言、と思っていましたし、彼の頭の中は借金返済の工面で一杯でした。
最初、マドレーヌは彼女が生まれ育った街ヴァンセンヌに寄るように言います。ビルの壁には彼女の父がレジスタンスの戦いで死んだことが記されていました。
第二次世界大戦の開始(1939年9月)から半年あまり、1940年6月にフランスは降伏、パリはドイツに占領されました。そして1944年8月米軍を主力とする連合国軍によって解放されます。
16才だったマドレーヌはパリを解放した一人の米軍兵士マットと恋に落ちました。しかし彼は、すぐに本国に帰還し二度と帰って来ませんでした。
マドレーヌはマットとの子どもマチューを産みました。彼女は、子どもを一人で育てると決意したといいます。
しかしまだ若いマドレーヌは、子育てをしながら新しい恋をしました。マチューを母親に預けて、逞しくハンサムなレイとデートを重ね、そして結婚しました。
ところが結婚したとたんにレイは暴力夫になりました。マドレーヌに対し「自分の子どもを産め」と強要し、拒否する彼女に日常的な暴力を振るいます。そしてついにはまだ小さいマチュー(6、7才)にも手を上げました。
息子を殴ったレイに対し、マドレーヌの怒りは沸騰し、彼の股間をガスバーナーで焼きました。マドレーヌは夫の暴力から「身を守った」と主張しましたが、殺人未遂で懲役25年をいいわたされます。
裁判所の周囲では女性たちが「マドレーヌに自由を」と叫んでいましたが、法廷には届きません。1950年代のフランスは女性の自立は認めない社会でした。
模範囚だったマドレーヌは13年で出所しました。マチューと一緒に暮らせると喜んだのもつかの間、彼は報道カメラマンをめざして、すぐにベトナムに旅立ちました。しかも、着いた直後にサイゴンで死亡したのです。
タクシー運転手が受け取ったもの
シャルルは、長年タクシーに乗っているようですが、あまり愛想のいい運転手ではありません。看護師の妻と共働きで一人娘がいて「1日12時間、週6日、1年で地球を3周走る」といいます。これだけ働いても借金があります。しかも交通違反を重ね、免許停止まであとわずかです。
借金を返すために妻が継いだ実家を売ろうか、と考えています。
だからさっさとマドレーヌを老人ホームに送り届けて、その算段をつけようとイラついていたのです。
これは真面目に働いている男の人生ではありません。シャルルがいつ頃、何のために借金をしたのか、映画では説明しません。生活苦でしょうか。歯科医師でお金を持っている兄を何かとあてにする生き方だったようです。
マドレーヌの意外な人生を聞き、しかも彼女の機転で免許停止も免れました。シャルルの気持ちが変わっていきました。すっかり打ち解けて、彼女に問われるままに、高校生時代から付き合っていたという妻とのなれそめも話すようになっていました。
老人ホームからの「早く来てくれ」という催促も無視して、二人はディナーを楽しみました。話は聞こえません。私たちは二人が何を話したのだろうと想像するしかないのです。
不愛想だったシャルルは、自分の祖母と同世代のマドレーヌの魅力にすっかり惹かれてしまいました。施設に送り届けた時には、タクシー代を受け取らず「必ず会いに来るから、その時に」といいます。
この時、シャルルはマドレーヌが何者なのか知りません。ですが彼は妻を引き合わせたいと思い、一緒に施設を再訪しました。
しかしマドレーヌはすでに死亡していました。それでも妻は、置いてある写真を見て、彼女が女性解放運動のシンボルだった、偉大なフランス人だと知ります。そしてそれをシャルルに告げました。
マドレーヌの後半生は、まさに女性解放運動に捧げたものであったのでしょう。その時に見聞きしたことをシャルルに語り、彼に生きる意味を考えさせたと思います。
シャルルがマドレーヌから受け取ったもの、私たちが彼らから受け取ったものはなんでしょうか。
(Q)
【背景】 フランス女性の人権
映画『パリタクシー』では、車内で語られるマドレーヌの人生の物語を基に、二人はパリ市内の彼女の思い出の場所を訪ねます。マドレーヌが若かりし頃、1950年代のフランスでは、女性、特に妻の人権は殆ど認められていませんでした。それがマドレーヌの人生に大きく影響を与えました。マドレーヌの人生の歩みと重ね、フランス女性の人権がどのように獲得されてきたかをみてみましょう。
1789年のフランス革命で制定された人権宣言は、「人は自由、かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する」と謳っていますが、人権宣言の「人」に女性は含まれませんでした。そのためオランプ・ド・グージュは、人権宣言が女性の権利を保障していないことを批判し、1791年女性は男性と平等で同等の権利をもつ、と「女権宣言」を書いたのです。
革命の高揚期、1792年に女性の離婚が認められましたが、革命の揺り戻しで女性の地位は後退し、1804年のナポレオン民法典以降、法的には無能力者として扱われてきました。
政治が共和制から帝制、王政復古、第二・第三共和制、人民戦線へと変転する中で、教育を受ける権利、労働時間短縮、裁判離婚などは認められましたが、参政権は1945年まで実現しませんでした。妻の無能力制度は、名目上人民戦線内閣の1938年に廃止されましたが、実質的には第二次大戦後まで制度は残り、結婚した女性の上に重くのしかかりました。1946年の第四共和制憲法で男女の平等が保障されましたが、女性に家事、育児に関わる性的役割の分担を強いる考えが社会の中で根強く残り、女性の私権の制約は1965年の民法改正まで続きました。
結婚して妻となった女性は、夫に服従する義務があり、中絶、離婚は認められず、就職にも夫の許可が必要、妻の信書は夫に自由に開封される、妻の固有財産も夫に管理される、子供の親権もない、など私権が制約され、妻の人権は殆ど無きに等しい状態でした。1965年、1985年の法改正で、夫婦財産平等、親権平等、職業選択の自由など、妻の完全な行為能力が承認されたのでした。
このようにマドレーヌが二十代を過ごしたフランスは、女性にとって決して生きやすい社会ではありませんでした。マドレーヌより20歳年上のシモーヌ・ド・ボーヴォワールが『第二の性』を発表したのが1949年、フランスでは女性参政権が認められたばかりで、女性の社会進出は限られていました。ボーヴォワールは『第二の性』序論で次のように述べています。「女性は常に、男性の奴隷ではなかったとしても、少なくとも男性の従属者だった。男女両性は、かつて平等に世界を共有したためしがなかった。今日なお、女性はその地位が向上しつつあるとはいえ、なお重いハンディキャップを負っている」
1968年5月革命以後、フランス女性の社会的地位は大きく変化しました。1985年以降働く女性が増え、離婚の自由、非婚、LAT(生活は別々で共に暮らす)、PACS(性別に捉われない婚姻関係)という生活スタイルも広がり、多様な家族の形が見られるようになりました。
オランプ・ド・グージュ、働く女性の権利を唱えたフローラ・トリスタン、中絶合法化に取り組んだシモーヌ・ヴェイユ、シモーヌ・ド・ボーヴォワールなどおよそ200年の女性たちの闘いがあって、フランス女性は今の人権を確立したのでした。
(辺)
参考文献:林瑞枝編「いま女の権利は」学陽書房・1989年