2022/10月例会『ニューヨーク 親切なロシア料理店』

解説

痛みを抱えた人々を温かく見つめ寄り添う物語

 10月例会『ニューヨーク 親切なロシア料理店』の原題“The Kindness of Strangers”は、エリア・カザン監督が映画化した戯曲『欲望という名の電車』で高慢なブランチが放つ有名な台詞を連想させる。あの作品ではシニカルに使われていた「見ず知らずの方々の親切」が、本作ではまさしく希望の光となった作品となっている。

 デンマーク出身のロネ・シェルフィグ監督は「よそ者」ならではの視点で、痛みを抱えた人々を温かく見つめ、そっと寄り添う。 マンハッタンで創業100年を超える老舗ロシア料理店〈ウィンター・パレス〉。かつては栄華を誇ったお店も、今や古びて料理もひどい有様。店を立て直すために雇われたマネージャーのマークは刑務所を出たばかりの謎だらけの人物。常連の看護師アリスも、仕事ばかりで他人のためだけに生きる変わり者。そんなロシア料理店に、二人の子供たちを連れて、事情を抱えて夫から逃げてきたクララが飛び込んでくるが…。
 一癖も二癖もある人たちが、この店に集まってくる。ところが彼らはクララを無下に追い払うこともなく、温かく出迎える。つらい体験を味わった孤独な人々がやがて交流し、絆を深めていく――。
 夫のDVから逃げてくるクララは、二人の子供を連れて着の身着のままで逃げてくる。普段の暮らしで怯えており、夫が警察官であることから警察にも頼れない。唯一持ち出した車さえも、駐車違反でレッカー移動されて失ってしまう。
食べ物も満足に買えず、泊まるところもない。ホームレス同然の数日間の生活で、クララと二人の息子たちは精神的に追い詰められていく。そんな中、クララは「赦しの会」を主宰している看護師アリスと出会う。
 クララはニューヨークという大都会で、オーナーやマネージャー、店の常連客らの優しさに包まれていく。登場する人物のほとんどが、いろいろな形で他人の痛みに寄り添い、思いやりを示す。ともすれば社会的弱者とも呼べる人々が連帯し、助け合い、人生を切り開こうとする姿を見るだけで心が温まっていくのだ。
シェルフィグ監督が紡いだ物語は、日常のいたるところに〈誰かの優しさ〉が満ちていて、そんなことに気がついたとき、初めてささやかな奇跡と幸福がやってくるのだと教えてくれる。
 物語の中核をなすのは、「人生をしくじった人々の再出発」。例えばロシア料理店オーナーのティモフェイは、まったく流行らない料理店を継いでしまった。マネージャーのマークは実刑判決を受け、刑務所から出所した直後。看護師アリスは仕事やボランティアに力を入れすぎて、同僚に鼻で笑われるほどの非リア充。ジェフはどんな仕事も長続きせず、直近では「無能すぎる」という理由で解雇されたばかりだ。
そしてクララは夫から逃れるため、幼い子ども二人を連れニューヨークへ飛び出してきた。
 そんな憔悴したクララを救ったのは、ティモフェイら「しくじった人々」からの親切だった。
 こんなシーンがある。料理店のマネージャーを任されたマークはある日、店に置いたピアノの下にクララと息子が寝そべっているのを見つけて、ギョッとする。
 彼はクララを叩き出すことはせずに、何も言わずに彼女の傍らに盛り付けた料理をそっと置くのだ。この場面を見たとき、胸が熱くなった。本作の愛のかたちを象徴する美しいシーンだ。
 アリスは「つらい体験をした孤独な他人同士よ。もっと思いやりを」と繰り返し語る。そうした親切や優しさが、まるでロープのようにクララの体を引っ張り上げ、再出発への活力を与える。彼女らの愛のエールがスクリーンから染み出てきて、観客である私の心にもじわじわと届いた。
 タイトルから受ける印象と、観賞後の印象はガラリと変わるのがこの作品。ほんのりとした人情ドラマが展開されると思いきや、描かれる人間模様は辛辣だ。でも、クララたちに救いの手を差し伸べようとする人々のやさしさに、人を思いやる強さや美しさを再確認させられる。
 手を差し伸べる人たちはけっして裕福な人たちではない。みんなある意味苦境を経験し人生の苦さを知っている人たちだ。でもそんな人の痛みが分かる人たちだからこそ、クララたち親子に手を差し伸べてくれた。そしてクララのようにつらい境遇にあるからこそ、自分の尊厳を取り戻すには人の力が必要なのだ。
 この物語をおとぎ話だと言い切る人もいるかもしれない。けれど人生の様々な経験を乗り越えた人は、この作品の「見知らぬ人の親切」に救いを感じるに違いない。「分断」により世界が傷ついている今こそ、こんな優しい力強い「おとぎ話」は必要なのだ。
(陽)