2022/8月例会『クーリエ:最高機密屋の運び屋』

解説


『クーリエ:最高機密の運び屋』(原題:The Courier)
(2021年/英・米/112分)
 監督:ドミニク・クック
 出演:ベネディクト・カンバーバッチ


子どもたちのために現実を動かした

 第二次世界大戦の終結後に明らかになった米ソの二大国を中心にした東西陣営の対立、冷戦構造は、1980年代末のソ連ペレストロイカが進んだ時期に、対立から協調へと変化しました。核軍縮も進み、多くの人々は、核戦争の恐怖が遠のいたと思いました。
 しかし1991年にソ連が崩壊した後は、軍事や経済も米国一強の時代となりました。戦火は収まるどころか、ユーゴスラビア紛争、9・11、イラク戦争等と続き、21世紀の今も地球上に燃え続けてきました。
 そして今また、ロシアのウクライナ侵略戦争を目の当たりにしています。プーチン大統領は核兵器使用も口にします。
 戦争を歓迎する「死の商人」もいますが、普通の人は戦争を否定します。しかし第二次世界大戦以後の全ての戦争は「自衛」の名の下で、多くの無辜の人々が悲惨な状況を味わっています。
 「正しい戦争」はなく戦争を起こさない努力が必要です。軍備の増強よりも官民を挙げた外交や親善交流、国際的なルール等が大事です。
 この映画は実話に基づいています。核戦争、人類の滅亡、地球の荒廃が現実になるかもしれないと感じ、それを防ぐために命を懸けた男がいました。

核戦争の恐怖
 1960年代の初め、東西冷戦の対立がピークで「ベルリンの壁」が1961年8月につくられ、多くの人々が地球の破滅を実感した1962年10月のキューバ危機の前後です。それがこの映画の時代です。
 米国は公民権運動が盛り上がりを見せ、1960年、若きケネディ(43才)を大統領に選出(61~63年)していました。  ソ連はスターリンの死後、フルシチョフが共産党第一書記(1953年~64年)です。宇宙開発競争で米国を引き離したものの、国民生活は貧しいままでした。
 その時に、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)の大佐であり、表向きは科学調査委員会の責任者として働いているペンコフスキーは、政府の中枢にいて、フルシチョフの激高しやすい性格から核戦争の危機を感じ取っていました。
 彼は、軍事機密などソ連の真の情報を米国に伝えることで、核戦争を防ぐことが出来ると考え、米国大使館に接触を図りました。しかし米国CIAは直接に動かず、英国の諜報機関MI6と協力して、東欧諸国を回っていた英国人ビジネスマン、ウィンをペンコフスキーとの連絡に使いました。  ウィンも核戦争から子どもと家庭を護りたいと考えました。
 ペンコフスキーとウィンは、西側企業の技術と製品をソ連に輸入するために、お互いを窓口とし、必要とする関係をつくります。ペンコフスキーは、GRUにはウィンから西側の情報を得ていると報告しました。
 それらを名目にして、二人は頻繁に打ち合わせを行い、大量の機密情報がウィンによって西側に運び出されました。

命を懸けた友情
 当然、二人には監視の目が光っていました。やがて西側に送り込まれたスパイから重要機密が多数流出しているという報告を受けて、ペンコフスキーは徹底的に調べられていました。
 危機を察知したMI6は「ここまで」とウィンに中止を命じます。しかしウィンは「ペンコフスキーはどうなる」と彼の家族を含めた亡命を実行するように要請します。そのために自らの危険を顧みずソ連へ赴きました。
 しかし亡命計画は失敗し、二人はKGB(国家保安委員会)に捕えられました。ウィンはスパイ容疑で拷問にかけられます。
 KGBは「ペンコフスキーはすべてを吐いた」といって、二人を会わせ、ウィンにスパイ行為を認めろと詰めます。しかし二人の信頼は揺るぎませんでした。
 この時、ウィンはペンコフスキーにキューバ危機が避けられたことを伝えました。
 ウィンは「頼まれたものを運んだだけ」を貫き、一年後にソ連側のスパイと交換で英国に帰ることが出来ました。
 ペンコフスキーは処刑されました。  二人を見ていると「スパイ」のイメージが変わります。私利私欲ではなく、平凡な男が平和な世界を守るために「できることをしよう」という決意です。彼らはお互いの人となりを知って、深い友情と信頼を作り上げました。

時代を見て学ぶ
 キューバ危機以降、デタント(緊張緩和)が進みます。核戦争の危機を実感した米ソ首脳は、直接話し合うホットラインを設けました。
 ウィンとペンコフスキーの「スパイ行為」が大きな影響を与えたことは間違いありません。しかし現在の私たち日本人はそのことをまったく知りません。
 1964年に東京五輪が盛大に行われたことは、昭和史を振り返るたびに語られ、戦後復旧の象徴として扱われます。しかし二年前の核戦争の危機は意識されません。
憲法九条が日本を戦争から遠ざけたことは間違いありませんが、安保闘争はあっても、東西冷戦のもとで核の傘を受け入れてきました。
 ペンコフスキーは、家族に「父さんは革命に背いてしまった」といいます。彼は第二次世界大戦の英雄で、ドイツとの戦いで奮闘しました。しかし冷戦下では国益ではなく家族の命を選びました。ロシア革命は人民の命と幸福には無関係だったのか、ふと思います。
 戦争になればすべてが終わる、だから核競争ではなく、軍備の増強ではなく、戦争にならない道を探る、その一つを実践した二人の男の物語です。 (Q)
※ 原題「The Courier」は運搬人、密使という意味も