2021年7月例会『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』

 

解説

被害者の視点から描いたリアリティあふれる社会派作品

◇リアリティあふれる社会派映画
 一作ごとにスタイルを変えるフランソワ・オゾンの作品の中でも、これまでのイメージと打って変わったリアリティにあふれる作風が心に残る作品だ。封印された被害者の苦悩を浮き彫りにする、見ごたえのある社会派映画となっている。
 冒頭、リヨンの街を見晴らす丘にそびえ立つ、大聖堂のテラスに佇む枢機卿の姿が、カトリック教会の権力を象徴する場面。およそ30年にもわたり内部にはびこる問題を黙認した、権威に根ざした教会の腐敗を想像させるシーンだ。

◇被害者の視点から描く
 アレクサンドルは、少年時代に性的虐待を受けたプレナ神父が今も健在で、再びリヨンに戻ってきたことを知り、被害を防ぐ決意をして告訴する。
 すでに中年となったアレクサンドルが少年時代に受けた被害は、法的には時効を迎えていた。彼は自分と同じように被害を受けていた人々を探し、証言を集めようと動き出す。
 地道な交渉と説得によって「被害者の会」が立ち上げられ、最初は「過ぎたこと」として関わろうとしなかったフランソワやエマニュエルも変わっていく。「被害者の会」はプレナ神父だけでなく、彼が小児性愛者だと知りながら何の対処もしなかった教会の責任を問い、時効の延長を呼びかけるのだった。
 彼らそれぞれの経験がフラッシュバックで描かれるものの、スキャンダラスな描写を避け、示唆的に写すに留めている。映画は語り手がアレクサンドル、フランソワ、エマニュエルとバトンをつなぐように交代していく構成によって、それぞれに異なる来歴や宗教観を持つ被害者たちのさまざまな葛藤を見せ、現在進行形の社会運動の困難と希望を浮かび上がらせる。
 「特権を享受する側の責任とは? 権力に立ち向かうには支援や連携が不可欠」
 ここで描かれているのは、呪わしい過去を公表することや巨大な権力を相手に闘うことの困難だけではない。一生引きずる身体的トラウマや、親族からもサポートを得られず無理解に苦しむ被害者たちの、やり場のない怒りと苦悩も見据えられている。
 一つの告発をきっかけに次々と立ち上がるかつての少年たち。一方で自分は訴えない、そっとしておいてほしいと望む被害者も多い。声をあげた80人の他にどれ程の少年が苦しみを背負ってきたのか。
 終盤、息子がアレクサンドルに放つ「パパ、今も、神を信じる?」という問いは、「棄教すべきではない。内部から、教会をより正しく変えていくべきだ」と言い続けてきた彼の複雑な心情を浮き彫りにする。そのシーンは絶対的に信じられるものを失って迷走する現代社会そのものを象徴しているようにも見える。
 作品は、淡々と事実を描き、映画にありがちな「劇的な要素」 は、全くない。しかし、それは、彼ら一人一人の苦悩を生々しく描くことにつながっている。訴えが届くかより、もっと大切なことは、彼らの苦悩を我々観客が肌で感じることなのではないか。

◇教会の組織的な罪にも鋭く斬り込む
 この事件をめぐっては、性的虐待の当事者プレナ神父と共に事実を隠蔽していた枢機卿ら教会関係者も裁判を受けている。映画も、事実を知りながら神父を配置転換するにとどめ、知らぬ顔を決め込んだ教会の組織としての罪にも鋭く斬り込んでいる。
 いともあっさりと罪を認める神父に対し、何とか体面を取り繕い、事実が白日の下にさらされることを逃れようとする教会。プレナ神父は約20年間にわたり、80人以上に性暴力を働いたとされるが、教会側が適正に対処していればこの犯罪の拡散は防げたのではないか。プレナ神父の行いは決して許されることではないが、視点を変えれば彼も教会の事なかれ主義の被害者なのかもしれないと思わずにはいられない。
 不正や犯罪の当事者ではなくても、その行為について見て見ぬふりをすれば、それは同罪、もしくはさらに重い罪にもなるのではないか。映画に込められたこの問いは、国家も含めたあらゆる権力はもちろんのこと、私たち一人ひとりにも突き付けられていると言えるだろう。
 一方で、聖職者たちはショッキングなほど尊大に見える。罪の意識のないプレナ神父がアレクサンドルと再会し、厚顔にも彼の手を握ろうとするシーンは、観る者にも反射的な嫌悪を呼び起こすに違いない。
 印象的なのは、数十年を経て対峙する神父が、決してわかりやすい悪役然として描かれないこと。また、教会組織も真相解明のために力を尽くしているように見える。だが結果として事態は進展せず、表向きには全くの無風のまま。非を認めない組織のあり方が被害者の苦しみを悪化させる一方で、告発者たちが自らの手で立ち上げ、勇気と使命感を強固に連帯させていくのもまた組織の力なのだ。今なお係争中の題材でありながら、本作には揺るぎない視点で物語を紡ごうとする力強さを感じる。

◇映画の持つ社会的な影響力
 フランスでは、事件の裁判と映画の公開が重なったため、プレナ神父が公開差し止めを要求し大きな話題を呼んだ。その後2019年7月、彼に懲役5年の刑が下っている。
 映画とはつねに、多少なりともその時代を反映するが、果たしてこの作品がなかったら事件がどれほど大衆に理解されたかを考えると、オゾンの志には背筋が伸びる思いがする。
 オゾン監督は「これは世界に議論を促す映画だ。映画には政治的側面があり、世間を変えられずとも、関心を高める力がある。本作はコミュニティや人々の葛藤を描いているので、政治的にならざるを得ない。しかし私は宣伝映画を作ったわけではない。本作を作った目的は問題提起だ。ある質問で終わることで人々に考えてもらい、物事を変える議論をしてもらいたい。小児異性愛や性的虐待にある沈黙の掟を変えてもらいたい」とインタビューで語った。
 今作をめぐっては、上映の延期やシーンの一部削除を求める裁判(いずれも訴えは却下)が起こるなど、本国フランスでも大きな物議を醸した。批判や騒動を恐れることなく、果敢にスキャンダラスな題材に挑んだオゾン監督以下、スタッフ、キャストの勇気に敬意を表したい。
(陽)

【参考文献】公式ホームページ、スクリーンONLINE

ひとくち感想

良い映画でした。難しい事柄をよく捉へていました。(84歳 女)
ていねいな映画でした。一人一人の思いを出していたと思いました。アクションをおこしても思いがけない方向や自分の思いとは違う方向に行くのだという事を見せてくれていました。しかし変えるということになる為には多くの人の智恵や思いが、執念がないと達成できない。しかしそれでもラストに最初に訴えた主人公のとまどった様な表情が印象に残りました。思いをとげた、それでも何かが違う方向へ、というとまどいの表情だととらえました。(76歳 女)
古今東西、いつの時代も権力者は真実を隠蔽する。声をあげて、告発する[姿勢]には敬服する。(76歳 女)
大変重い内容の映画でしたが、気付いたら体が前のめりでみていました。(74歳 女)
それぞれの事情があり、真実を訴えるのは大変ですが「まず自分から」と勇気を出す大切さを学んだ。現実生活を生きることは厳しい!でも希望も感じる!(74歳 女)
多くの人物(被害者)が次々登場してくるストーリーを、淡々と、最後までよく描ききったと思います。こんな大きく恥ずべき問題があっても、権威だけは守ろうとして揺るがない体制側の強さと被害者の強い意志、執念を感じました。そしてまた、フランスのカトリック教会の状況が知れたり、そもそも男子の小児性愛問題があって、長い間被害者のトラウマになっていることを知れた映画でもありました。(74歳 男)
日本人にはほんとうにカトリック教会、イエスキリストとか感覚的には知ることがすくなすぎる。「神」に対して告発するなんて本当にありえないことだろう。「沈黙を破る」ことがすごいことだと思う。子供たちにしたことには時効なんてない。見すごしてきた教会、体制がいちばん罪深いと思います。(67歳 女)
主人公が次々と変わっていくような脚本の展開が興味深い。秘めた苦しみを解き放して、前向きに生きる姿が温かく感じた。(67歳 男)
社会的成功者になる筈だった子供達の人生が狂わされていったところに、罪深さを感じました。エマニュエルの母親の変わりゆく表情がよかったです。(63歳 男)
本当にゾッとする話だった。この教会に通わされた子供の親が「神父を信じなさい」という人だったら本当に恐ろしい。(60歳 男)
仏語の映画は必ず寝てしまうのに、一睡もしませんでした。とてもテンポ良く引きこまれました。(59歳 女)
思っていた結末と異なりました。告発が必ずしもプラスにならない。団結力がいつまでも続くわけではない。そんな風に思いました。(18歳 男)
物語の主人公が移っていくたびに、それぞれの人生が描かれる。宗教をもたない日本人の私にとっては、理解しがたいほど教会の力は大きく、社会的にも聖職者は地位も高いだろう。「罪をゆるす」という宗教だからこそ信者であればつらい。それにしてもまだまだ声をあげられない人もいることも考えなければ罪は一生きえないと思う。心の傷がいえない限り。(女)
「神」って何、人、人間って何……にもかかわらず生きている。そして生命をつないでいる。
日本でも2019年ローマ教皇が来日した時「私は神父に犯されました」とうったえている方がいましたね。他にも同じような事故を起こしても逮捕される人と逮捕されない人と不公平な世の中です。是正されるといいと思います。(女)
当事者の声にどう向き合うかは……難しいの一言に尽きる。どんな答でも答になるし、答えにならない。(77歳 男)
今の時代、カソリックの独身主義というのが理解できないです。小児性愛者は古代から存在していたと思っていますので。(75歳 女)
神とは何か、人とは何か、家族とは何かを問う題材だった。宗教色の少ない日本では考えがおよばない、人々の議論、生き方も考えさせられた。(73歳 女)
底が深い一人一人の心理が一通りでなく、複雑でした。正面からの闘いにいどむ人々の真剣な生き方は、大切で、それが生きるということやね。(73歳 女)
私が被害者だったら、傷口が大きい分、ことばに出すまでに長い時間と勇気が必要だと。自分たちの子どもの為に立ち上がった事は、大きな勇気がいった事だと思う。見終わっても宿題を出されたような気持ちが残る(72歳 女)
制作・公開時に、まだ裁判係争中であった事件を実名で断罪告発する、という姿に制作者の真剣さと覚悟を見る想いです。それにしても、フランス語のフランス映画を日本で公開するのに、どうして英語の「グレース・オブ・ゴッド」などという題名にしてしまうのでしょう。このタイトルは、本編中でも出てきますが、バルバラン枢機卿が記者会見で放った言葉「神の恩恵でほとんどが時効であった」をピックアップしたもので、現代は「グラス・ア・ディユー」。つまり、プレナ神父のみならず、真に断罪されるべきはバルバランに代表されるカソリック教会だ、と監督オゾンは言いたいのでしょう。それを、より分かりやすくするには日本語で「神の恵み」といった題名にするべきではなかったでしょうか。(69歳 男)
モラルは信仰より大事にされるべきとする映画だったと思います。モラルは信仰より長い。(68歳 男)
やっぱり外国はすごい。歴史的に何か学ぶところがある。たぶん日本では無理だろう。(67歳 男)
公開時に劇場では敢えて見なかったのですが、被害者の苦しみを描いてあってよかったです。子どもに事件当時話してもらうのは難しいということもこの映画でよくわかりました。鮮明にいやな思い出は残ってしまうので、大人になってから説明できるようで、性的虐待の怖さも画面から伝わってきました。(60歳代 女)
見事な映画でした。教会の隠蔽体質への怒りも伝わってきますし。「沈黙を破る会」を立ち上げた人間達、被害者たちも、何とリアルで個性的なのか、と思いました。その家族もそうです。パートナー、父や母、兄弟たちの反応も微妙にちがいます。小児性愛者を性指向性や性自認とも違う、犯罪と断じています。教会自体というよりも自分を守る為に巧妙に言を弄するバルバラン枢機卿たちの描き方もあきれるほど官僚的でした。
テレンス・マリックの『名もなき生涯』の上映をお願いします。DVD化されていませんのでお願いします。