2018年11月例会『ナチュラルウーマン』

解説

激しく吹く風にあらがって

 紀元前25世紀のエジプト時代には古墳の壁画から史上最古の男性同士の同性愛を表したであろう記録が見つかり、紀元前630年にはギリシャのクレタ島では少年愛を若者の教育と人口抑制という二つの目的で法的に認めており、紀元前600年にはレズビアンという用語が初めて使われた。
 今日、私たちがよく耳にするようになってきたLGBTという言葉も歴史的には遠い昔からの流れの中から生まれてきたものだ。この世に男と女が誕生して以来、異性、同性に抱く感情にもいろんな形が生まれた事は想像に難くない。日本でも平安時代以降、暗黙の了解という形でいろんな愛の形を認めてきた。
 この映画『ナチュラル ウーマン』は今の自分の感情に正直に自然に生きようともがく一人の女性を主人公としている。
 映画の原題は『Una Mujer Fantastica』というスペイン語であり、「素晴らしい女性」という意味を表している。映画の舞台は南米チリ。19世紀にはドイツ、フランスの教育制度を取り入れて中南米諸国の中でも教育水準はとても高く、治安も安定している。神戸とのつながりでは有名なチリ料理店のグラン・ミカエラ・イ・ダゴ(Gran Micaera Y Dago)が古くからある。
 主演マリーナには自身もトランスジェンダー女性で歌手のダニエラ・ヴェガ。
 監督はサンティアゴ生まれのセバスティアン・レリオ。チリの首都サンティアゴを舞台に58才のキャリアウーマンの女性が孤独や更年期を乗り越え前向きに生きていく姿を描いた映画『グロリアの青春』で2013年ベルリン国際映画祭で銀熊賞(女優賞)を受賞。音楽監督のマシュー・ハーバートの曲もマリーナの心情を表す手段として数々の場面で効果的に使われ、作品に花を添えていて私は気に入っている。
 映画の冒頭、アルゼンチンとブラジルにまたがる世界最大の滝イグアスの映像が流れる。飛び込んだら死ぬだろうなと思いながら見ていると場面は重要な舞台となるサンティアゴ市内のサウナへと変わる。ここで流れるIllness(病気)というタイトルはマリーナの彼氏オルランドのこれからを暗示するとともにその曲調に何故か映画『ネオンデーモン』を思い出す。
 サウナ店の名前はスペイン語でサウナの始まりの国名を表すFinlandia. 因みにサウナの起源は2000年以上前のフィンランドのガレリア地方。食料を貯蔵したりスモークするための小屋がいつの間にか沐浴の場へと変わっていった。日本のサウナの始まりは1964年の東京オリンピック時、選手村にサウナを設けた事が契機となっている。
 レストランに入るオルランドに気づき、意味ありげな視線を送るマリーナ。彼女が歌うのはPeriodoco de Ayer(昨日の新聞)というスペイン語の曲だ。「あなたの愛は昨日の新聞みたい。誰ひとりもう読みたくない」という歌詞だ。
 マリーナにイグアスの滝へ行けるというメッセージカードを渡す男の胸の内にこの時、マリーナに対する思いがどれだけ残っていたのだろうか?
 「誕生日おめでとうございます」と微笑む中国系の女性。この作品の監督が敬愛する香港の映画監督ウォン・カーウィの分身?彼は『ブエノスアイレス』という作品で香港からアルゼンチンに働きにきた男同士の愛を描いているのだが…。
 ベッドで倒れた男を起こそうとする女。こんな時には横たえて安静が一番だとふと思うのだが…。映画はこの辺りから急展開になっていく。
 病院へ運ばれたオルランドだが死亡と担当医に告げられ、崩れ落ちるマリーナ。男の弟に連絡を取り、なぜか病院から姿を消してしまう。街中で尋問を受け病院に連れ戻されるマリーナは身分証の提示を求められ、ジェンダーだと明かす。
 オルランドの死をきっかけに彼の親族、家族たちと初めて顔を合わせるマリーナ。夫が親子ほど年齢差がある、しかもトランス女性マリーナと付き合っていた事実を知り、激しく彼女を責め立てる元妻ソニアと息子ブルーノ。純粋にオルランドを一人の男として愛し、自らの体も女性となったマリーナ。しかし世間の厳しい偏見と差別が彼女を襲う。
 彼の死に不審を抱く女刑事からマリーナが受ける尋問や身体検査はトランスジェンダー女性にとっては極めて屈辱的なものだ。思い出していたのは4月例会『サーミの血』でやはり偏見と差別の中で幼いサーミ族の少女たちが裸の写真を撮られる場面だ。しかし、マリーナにとって裸を写真に撮られる事がひとつの決断のきっかけになるのでは…。映画の後半に描かれる重要な場面、サウナを訪れる場面、歌曲を歌う表情へと繋がると思うのだが。
 歌曲を習う先生の教室に向かうマリーナ。先生は彼女の事を分かっていて彼女が歌曲を習う事でクラブの歌い手からもう一歩自分の人生を前へ進めようとすることを応援しようとする存在だ。練習で歌うのはイタリア語でSposa son disprezzata(花嫁は軽蔑される)という曲。彼女はどんな思いでこの歌を歌っていたのだろうか?
 練習を終え街角を歩くマリーナ。自分の生き方を決めた彼女に対して街角を吹く風は一層強さを増し、彼女の行く道を阻もうと激しさを増していく。まるで彼女の決断に覚悟を迫るように…。作品の中で主人公マリーナの心情をもっとも良く表しているこの場面はCGでもなく撮影方法は謎だとか。
 初対面のマリーナに対して、あなたはギリシャ神話に登場するライオンの頭、ヤギの胴体、蛇に尻尾を持つとされる怪物「キマイラ」だと屈辱的な言葉を投げつける元妻ソニア。同じように息子ブルーノもお前は化け物だとののしる。それでもマリーナの決意は変わらない。
 犬をもらい受け、映画の所々に現れるオルランド。バックに流れるアレサ・フランクリンが歌う名曲「ナチュラル・ウーマン」。歌詞はこう歌う。「だって貴方といると一人の女でいられる。ありのままの自分で。どこかに置き忘れていた心を貴方は取り戻してくれる」。変わりつつあるマリーナの表情。
 ロッカーの中に広がる無の闇を見つめ確認しながらマリーナの心にはここから新しい人生のスタートが始まるという思いが募ってきたことだろう。髪型も服装も新しくして自分の人生を始めようとするマリーナの晴れやかな歌声と表情が歌曲「オンブラ・マイ・フ(オペラの中では優しい木陰という和訳)」と共に印象的だ。
(水)

ひとくち感想

◎大変よかった  ◯良かった  ◇普通  ◆あまり良くなかった  ☐その他

最後の火葬の場面が日本的な姿とちがうことに興味があった。テーマは答えがないだけにすっきりしなかった。(74歳 男)
LGBTをテーマにした、よく練られた映画でよかったです。私には、どんな人にも優しく接したいという気持ちを残しました。犬をとり戻す彼女の執念にブラボー。(71歳 男)
最後の彼女が歌う「オンブラ・マイ・フ」が印象的でした。力強く前をむいて生きる「清さ」を美しいと思いました!(71歳 女)
シナリオ、演出、主演の仕事ぶりGood! 完成度の高い作品といえると思いました。(70代 男)
愛する人がいることのすばらしさを感じました。最後の〝 甘美な木陰〟のうたにすべてがつながりました。(69歳 男)
社会の枠のなかで自分らしく私は私と生きていくことは誰にとってもけっこう大変なことだ。まして〝マリーナ〟のような場合は。偏見の目にさらされるマリーナの心の痛々しさは画面からひしひしと伝わってきた。愛する人と別れたあとのマリーナが裸になって局部に鏡をおいて自分の顔を写したところに、ついている、ついていないで区別する社会の枠をとりはらって「私は私」と生きていく姿が輝いていた。Naturalあるがままに、自然に、自分らしくでしょうね。Natural Humanかなあ。(67歳 女)
洒落たオフィスで仕事をこなし、サウナで体を整え、初老の紳士はクラブで歌う若い彼女の元へ。誕生日を祝うディナーの席で彼女に渡した封筒には行きたがっていたイグアスの滝への切符をあげると書いた便箋。切符は紛失していた。
部屋に帰り愛し合う二人だったが、夜中に彼の体調は急変し、病院で呆気なく絶命。医師に「自分は彼の家族ではない」と答える彼女。
妻子が葬儀をする事になり、参列を望む彼女は(生まれつき体は男なのに女の心を持ち男を愛することで)〝バケモノ〟と罵倒され、なおも訴えると車に拉致され顔面に食い込むようにテープを巻かれ、裏通りに放り出された。家庭から夫、父を奪った者に対する憎悪は本人に責任のないトランスジェンダーという特性により恐ろしいほど増幅された。
彼の急死への関与も疑われる。故意の殺人ではないが、頽れた彼をベッドに引き上げ、「何か話せ」と言い、服を着替えさせ、階段を降りさせ、自分の運転で病院へ運んだのはやってはいけないオンパレード。
突き止めた葬儀場でも妻に「家族で静かに送らせて」と拒絶され、部屋からいろいろ持ち出され、彼の愛犬も連れ去られた。「犬だけは返して」とミニスカートでボンネットに飛び乗り車の屋根を踏み鳴らす彼女は、家族には本当のバケモノと映ったかも。
家族が引き払った後、火葬直前の〝彼〟に会え、ポケットを探るが切符はなく、サウナの更衣室の彼のロッカーの中もカラッポ。〝滝を訪れ再生〟とはならなかったが、〝無〟のショックで新しい力が湧き、彼女は戻された犬に癒されつつ歌に磨きをかけ、立派な舞台で独唱する。「オンブラ・マイ・フ」を歌い、優しい木陰のような彼の愛を思うが、それを失い日照りや雨風に晒されて生きた家族もいたのだ。〝老い〟は柔和で魅力的な男性に切符より先に家族への愛や責任も忘れさせたのか。
誰もが差別されず、生きるに必要なものは得られ、(人を傷つけぬ限り)自由に自分らしく生きてゆけるといい。きらめきながら流れ落ちる滝の無数の水筋のように。(63歳 女)
映画を見て話をして、また映画を見て話をして、と繰り返すと、段々と見方が変わってくる。マリーナの行動や気持ちの変化にも気づく。病院で最初は「友人」そして「家族、パートナー」と応え方を変えたこと、病院から逃げ出したことは、突然のオルランドの死に直面して、彼女は恐怖を感じたのだと思う。それまでの居心地のいい人間関係が一変して、性犯罪対策の嫌らしい警察に追い回され、辱めを受けたこと、そしてオルランドの家族からの仕打ちなどは、不審死に関わった人間、家族のある男を愛した女が被るべき出来事かもしれない。マリーナはそれに対抗する術を持たない。風に立ち向かうシーンは彼女の心情だろう。
彼女を取りまく人々は色々な人々がいると描く。厳しい情況はあるが、それらを乗り越えて、「やさしい木陰」を歌う。きっとあらゆる人の人権を守る法制度はきっと出来る。(62歳 男)
自分とは違う存在に対して、人は偏見と差別の心を持っているのだなとしみじみと思いました。白い封筒が出てきて、イグアナの滝に行っておしまいみたいなチンプな結末でなくて良かったです。(58歳 男)
10月の聚楽亭日乗の感想です。「杉田と同じレベル」と呼びすてするのはいかがなものか。私も好きではありませんが、呼び捨てして批判することは杉田議員と同じレベルの品格です。全体的に「上から目線」的な表現が多くサークルから距離をおきたくなる一因ではないでしょうか。(55歳 男)
主人公もトランスジェンダーの歌手が演じていたこともあり、心の感情の動き、葛藤などがより伝わってきたと思います。色々な差別、偏見から目を背けずに乗り越えていこうとする姿勢に人間の強さ、タフさを感じましたし、自分自身も無意識のうちに、偏見を持っていないか等、改めて考えさせられました。(30歳 女)
ナチュラルウーマン、愛する人に対する気持ちを大事にしたいと思いました。家族側があわれな感じ、否定して、人をおとしめることはしたくないですね。(女)
ロッカーの中身は何だったんですか? 最初の歌はまるで日本なら「喝采」のよう。(女)

マリーナの歌声がとても美しかった。(77歳 女)
最近になって日本でも弁護士同士の結婚も上映されていますが、少しづつ人々に認識されていくのか…と思います。強い愛情で結ばれていたパートナーだったので、周囲の無理解が辛かったです。(72歳 女)
ロッカーの中身が気になって一体何なのか…。何により生きにくい今の世の中あらゆる差別に抗って前をむき尊厳をもつ生き方がブラボー!! 何よりすばらしい歌大好きよ。心があたたまって、うれし涙がじわっーと。(71歳 女)
生きとし生ける物、人、皆違っているのが普通なのに生きづらい人生を送っている事、映画では具体的に少しはわかったと思います。国によってもいろいろ違うのだなと思います。個人の尊厳、考えます。(70歳 女)
良かったです。マリーナの歌声をもっと聴きたかった。明暗のチカチカが長すぎましたね。気分が悪くなりそうです。ずっと目をつぶっていました。鏡に映る場面も。(69歳 女)
二回目ですが、歌うシーンもポピュラーとクラシックの二種類や先生とのやりとりも不思議な魅力があり、ドラマとしてもうまく作られていて、アカデミー賞外国語映画賞受賞も納得です。チリの現実的な社会情勢もしっかりわかってよかったです。(66歳 女)
最後のマリーナの舞台で唱うシーン、とってもきれいだった。トランスジェンダーは知っているが、いざ自分の周り又は自分の家族に関わったらどうかと思った。容赦ない差別はやっぱり時代がすすんでも人がかわらない限りなくならないものだと思った。(64歳 女)
「オカマ」「マゾ」等の中傷にも耐えて、最後には愛する男と別れることができたのが何とも言えなかった。本当に物静かな感じだった。(57歳 男)
ロッカーの中には?(女)
よかったと思います。マイノリティの大変な生き方を考えました。(匿名)
ラストの歌声は彼女の覚悟のあらわれ。美しいだけでなく強さも感じました。(女)
映画の始まりの歌ですでにオルランドとマリーナの辛い別れが想像でき、性的マイノリティへの世間の厳しさを、愛だけでは救えないものを感じます。マリーナが思わず病院をでていったのも、世間からの差別が身にしみていたからでしょう。若くない恋人を救急車でなく自分で運ぼうとした、また、階段のそばに立たせた、介護の経験のない方には考えられないと思いますが、私自身介護のスタートのころは救急車が来る前に着替えて、とか戸締りのcheckの間、食卓に腰掛けていてとか、後から思えば「あーあ」のことをしたので、若いマリーナが、オルランドに立って待っていてと言っても仕方なかったと思います。それでけがの責任を問われても身内でも同居しているとやられます。私自身介護しつつ相当やられました。それにしてもマリーナはきれいですね。春にリーブルで女として立つ瀬がないと話したのを思い出します。わかり易い映画だったと思います。(女)

ナチュラルウーマン。わかりにくい映画だ。(67歳 男)
「NO.181」のキーのロッカーの意味が掴めませんでした。(60歳 男)

何故、彼女は病院で、看護師には「家族でない」と言い、医師には「家族でパートナー」と言い変えたのか。何故、彼女は恋人の死を伝えられた後、一旦病院から離れようとしたのか、何故彼女は女性警官に打撲事故の詳細を語らず非協力的だったのか。これらの語り出しでの違和感がずっと尾を引き、主人公の行動に共感できぬまま取り残されてしまった。LGBTの話をするのに、何故、不倫で囲われた愛人の急逝で苦労する、などという設定にしてしまったのか。死んだ男の遺族の怒りは、相手がゲイだということで増幅はされるだろうが、その根本は若い愛人に家庭を壊されてしまったことであって、それはLGBTの問題とは違うハナシではなかろうか…。(66歳 男)
全く、よくわからなかった。監督の独善的な耽美主義だけの映画か。スリラーのようであり、ない。何が言いたかったのか?(匿名)