2018年5月例会『ローマ法王になる日まで』

解説

人の世には「壁よりも橋を」

はじめに
 クリスチャンではない私にとってローマ法王ははるか遠い人でした。その存在は知っていても、彼の人となりに関心を持ったことはありません。しかし現在の法王フランシスコ(2013年3月13日~)は、これまでの法王とだいぶ違う、という印象を持っています。
 この映画は、彼が法王に就任するまでのホルヘ・マリオ・ベルゴリオであった人生を、実話に基づいて描いたものです。1970年代後半アルゼンチンが最悪の軍事独裁政権であった時代を生き抜きました。
 ローマ法王はキリスト教の中でも、カトリック教会の最高の地位に立つ聖職者です。道徳や政治、思想などは保守的なイメージが強くあります。
 第二次世界大戦のときはヒトラーやムッソリーニと近い立場をとっていました。戦後の東西冷戦時代ではソビエトを敵視し、現在でもバチカン市国は中国や北朝鮮、ベトナムなどとは国交関係を持っていません。宗教を否定する共産主義と敵対的関係であり、米国など西側諸国と協力的でした。
 しかしフランシスコ法王は中国と関係改善をめざし、「核兵器は人類の平和と共存しない」という発言もしています。トランプ大統領を意識して、よい人間関係をつくるために社会は「壁ではなく橋を築くべき」だと言いました。
「焼き場に立つ少年」の写真(長崎原爆被災地、死んだ弟を背負って焼かれる順番を待つ少年の立像)を教会関係者に配布したそうです。
 これまでの法王に比べて異色です。それは彼がアルゼンチンで暴力的な国家権力とそれに抗う人々の狭間で悩み続けた心が反映されているように思います。

ホルヘの人生
 ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは1937年ブエノスアイレスでイタリア系移民の労働者階級の息子として生まれます。大学で化学を学びますが、1958年にイエズス会に入会し、聖職者への道を歩み始めます。69年には司祭となり73年にアルゼンチン管区長に任ぜられます。
 第二次世界大戦後のアルゼンチンは、50年代後半から軍事クーデターが繰り返し起こされて、政治的に不安定な時代でした。武装ゲリラと軍部の衝突があり貧困が広がっていました。そして76年から83年まで軍政の時代となり「アルゼンチンの汚い戦争」と呼ばれる国家と軍部による、左派政党や労働組合など反政府組織や活動家に対してすさまじい弾圧が行われます。
 約3万人が不法に誘拐、拷問、殺戮されたと言われ、いまだに実態が解明されていません。
 ラテンアメリカ全体でも、隣のチリでは一九七二年に、米国に支援されたピノチェト将軍が軍事クーデターを起こしアジェンデ大統領を殺しました。ブラジルやボリビア等も米国と結びついた軍事独裁政権が反政府組織や市民に対して弾圧しています。中米のニカラグアやエルサルバドルでも貧困からの解放を求め独裁政権と戦う内戦がありました。
 この時代、「解放の神学」と呼ばれる「キリスト教は貧しい人々の人間解放のための宗教である」を実践するカトリック教会の集団がありました。
 彼らは政府の弾圧にあっても人権侵害と戦い、貧しいものの側に立ち、生活と心の支援を続けました。その一方で教会の上層部は独裁政権を容認し、政権中枢部に取り入っています。ホルヘは、その間に立ち続けました。
 ホルヘは解放の神学を実践する司祭たちに「殺されるぞ」と警告します。彼らは実際に逮捕され、拷問を受け殺されました。あるいは交通事故を装って殺される者もいます。
 ホルヘは解放の神学を実践する司祭たちとは一線を画していました。しかし逮捕された司祭たちの解放を求めて奔走し、政府の高官と交渉します。あるいは反政府組織の人間を密かに匿い、逃走の手伝いをした、と映画は描きました。
 軍部や警察が、政府に抗議する失踪者の母親たちを誘拐し、生きたまま飛行機から投げ捨てるシーンがあります。ホルヘは弱者の立場に立ちますが、彼らを救うことは出来ません。「体を張る」ところまでいかない、あいまいさも描きます。
 軍事独裁政権から民政へ移管されたのち、1986年ホルヘはドイツの聖ゲオルク神学院に留学します。アウクスブルクにある聖ペトロ・ペルラッハ教会で『結び目を解(ほど)くマリア』の絵に出会い、複製をつくる許可を得て、この画像の絵葉書をアルゼンチンに持ち帰ります。
 アルゼンチンに帰った後は、田舎の教会で司祭をしていました。ある日補助司祭としてブエノスアイレスに呼び戻され、97年に大司教に就任します。その時にも都市開発によって排除される貧しい人々の声を聴こうとします。そして2001年には二代前のヨハネ・パウロ二世から、法王に次ぐ地位の枢機卿に任命されました。
 2013年3月13日法王に選出されます。初めて南米大陸出身、イエズス会出身の法王が誕生しました。

フランシスコ法王として
 ローマ法王は、カトリック教会の頂点というだけでなく、宗教の枠を超えて国際的な社会に大きな影響を与えます。この映画はフランシスコ法王に注目し期待を持っていると描きました。
けっして彼を勇敢な英雄、奇跡を起こせる聖人として描いているわけではありません。彼は目の前で起きた悲惨な出来事に目をそむけなかったのです。
 21世紀に入っても戦火は止むことはありません。大国は武器を売り、宗教的対立があおられます。民主主義に逆行する人権侵害、餓死するような貧困は根絶されることなくテロの温床となっています。ヘイトスピーチ、フェイクニ  ュースがまかり通る政治が支持され、人類の寛容の精神が小さくなっている気がします。
 その一方で、核兵器廃絶が国際条約として広がり始めました。
 頂点に立ったホルヘがどの立場に立つのか、どのような意見を発するのか、世界が期待しています。
(Q)

(注)日本カトリック教会では「ローマ教皇」と呼びます。マスメディアの慣行では「法王」が多いようです。配給会社は映画への思いがあって「法王」とした、と言っています。

参考資料:「ラテンアメリカを知る事典」

ひとくち感想

◎大変よかった  ◯良かった  ◇普通  ◆あまり良くなかった  ☐その他

背景をよく調べていなかったのが残念。もう一度解説を読み直します。(79歳 女)
ホルヘ神父がアルゼンチンの独裁政権の暴圧に苦しむ民衆との間に立って、苦悩する姿をよく表していた。南米のことがよくわかる。お母さんたちがスパイにだまされて、殺生されるシーンがむごたらしい。(77歳)
イタリア系移民の労働者階級の息子ホルヘ・マリオ・ベルゴリオが軍政下のアルゼンチンで最下層の人々と共に生き、司祭としての働きも貧しい人々と共に大司教となり、南米大陸出身のローマ法王になった感動は私自身キリスト者としてのほこりでもあります。(75歳 男)
アルゼンチンという南米の国からローマ法王(教皇)に選ばれたのはやはりペロンの圧政の中にあって、弱い人貧しい人苦しみを受けている人々の側に寄りそわれた証でしょう。ただアルゼンチンのあの時代の政治が語られ、その方面が強く、ローマ・カトリックの組織の複雑があって、よくわからないこともありました。ただこれからの教皇の生き方が複雑な世界に大きな役割を示されることを願っています。(74歳 女)
神様に選ばれて生きてきた人という思いがしました。過去の法王に関してあまり良い思いを持っていませんでしたが、今回は生きて来た方がわかり、感動してしまいました。彼のこれからの活動がよりよいものになるようにと祈るのみです。(73歳 女)
何に仕えるかは別として、仕えることの難しさを味わった現役時代を思い出した。アルゼンチンの歴史の中で彼がいかに活きてきたかの一端は分かっても、全てはわからないのだとの感覚もある。(73歳 男)
アルゼンチンの歴史とカトリック教会の組織と体制などのあらましが少し理解できて、ローマ法王(ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)とても良かったです。DAY’S JAPANでアルゼンチンの女性達の人権が無視されて、殺害されている現実を知って驚いたのですが、軍事独裁政権の弊害が未だ残っているのが少し理解できました。(72歳 女)
現在の法王は以前の方々と違うなと思い、心に留めてきましたが、アルゼンチンでの独裁政権でのつらい苦しい経験から、現在の心ある言動になられるのだと思いました。聖母の結びをほどくという場面では涙が…。核兵器廃絶の考えをのべられたりして、私達と共にあるのだと力強く思っています。(70歳 女)
軍の弾圧に向かい、神の(良心)教えに導かれ、すこしずつでも一石を投げた今の法王のことを知ることが出来てよかった。宗教は違えども考えさせられ、もっといろんな人に見てほしいと思いました。(70歳 女)
生きる力をあたえて下さった映画でした。有難う御座いました。(69歳 女)
大変よかった。(69歳 男)
過去の独裁政治をやっていた国の迫害のひどさ、本当に心が傷むシーンがすごく、観ていてつらかったです。それらに立ち向かう勇気に胸うたれました。(69歳 男)
前半部分は、政治的背景が十分に理解できていない者としては苦しかったが、軍政下の我々が想像もできないような日々の中で苦しみ、悩み、誠実に人と向き合い、ほんとうに苦しんで、苦しんで神とともにあることを貧しい人々とともにあることを求めたグレゴリオ神父が現フランシスコ法王なのだ、とクリスチャンでない私も親しみを持ちました。(67歳 女)
宗教は日本人にとって理解しづらいが精神的な役割が大きいように思う。日本人は仏教の教えの方がわかり易いように思う。(66歳 男)
感動しました。(65歳 女)
「結び目をほどく」というメッセージがよかった。宗教にはほどとおい日本人ですから「キリスト」の愛についてはわからないけれど。実践して人を助けていく姿はすごいと思います。本当は神様がいるならば戦争なんて悪人なんていないと思うけどね。つらいね。神を信じて兄弟を救っていく…。いい映画だった。(64歳 女)
ずっしりと重い内容の映画でした。でもこのタイミングで観てよかったです。知らされていない(知ろうとしなかった?)真実を知りました。どこの国でもされていた拷問など卑怯で卑劣な手段で人を脅すやり方、もうおしまいにしたいです。(63歳 女)
理系の大学生であり恋人もいた彼が、突然、結婚も許されぬ聖職を目指すと言い出し、友人達は冗談だと思った。彼は熱心に学び、人にも好かれ、教会での階段を順調に上り、アルゼンチンの管区長になり、枢機卿とも近しく話すようになる。困窮を政府に訴えた人々は激しく弾圧され、彼に助けを求める者も出て来たが、弱者を支援した司祭たちは、彼がトップである宗教施設から、リストによって狩り出され、衣服を剥がれ拷問される。自身の身分証を与え国外へ逃がそうとした活動家は、彼が車を見送った後、すぐに別の車にぶつけられ殺害される。彼が拘束された人達を救うため協力を頼んだ女性判事も、彼女の大量の裁判関係の書類と共に連れ去られる。彼は行方不明の娘を案ずる学生時代の教官も励ましていたが、彼女は娘がぼろぼろになって帰られた後も失踪者の母親達と共に抗議行動をし、捕らえられ、薬で眠らされ、軍用機から遥か下の海面に叩き付けられた。彼は犠牲者達といろいろな関わりがあったにも拘らず取調べや拷問、殺害などを免れ、ひどい時代を奇跡的に生き延びた。後、ドイツにも留学し、遂には教会の最高位に就く。貧しい者、苦しむ者、悲しむ者たちのために立ち上がったキリスト達が殺され、我が子を奪われた母マリア達も命を落とした悲惨な事実に暗澹たる気持ちになった。自身や身内、組織などを守るため、見捨てたり、裏切ったり、人間の心は弱い。愛を説くより、それぞれが慎ましい生活の中で、さり気なく愛を行えたら、と思う。(63歳 女)
大変感動しました。観に来て本当によかったです。キリスト教の使命のようなものを考えさせられました。心に残る映画でした。(56歳)
知るべきことを知ることができた作品でした。これからもこのような作品を上映して下さい。ありがとうございました。(54歳 男)
宮沢賢治の詩の主人公のように助命嘆願に東奔西走するホルヘ。前任者があまりにひどいからこういう人(南米出身)がえらばれたのかなと思いました。(女)

宗教を主題には敬遠していました。しかし「こわさ」見たさと本当のところは何かが知りたいから最後まで息をとめて見入ってしまったです。一人のいや一人の人間のためにも命をかけるスゴイ!!映画ええですね。(70歳 女)
二回めですが、忘れていたところもありました。マリア様にからまった結び目をほどくためにベネズエラ人女性にお祈り文を読んでもらい、涙するところは、わたしも泣けてきました。どうがんばっても、何も変えられない人の方が多いので、祈ることの意味も、年を取るとようやくわかってきました。(66歳 女)
信仰の力について感銘を受ける、ごく正統な映画でした。人間の愚かさについても考えさせられました。(62歳)
例会学習会で事実をかなり正確に調べてつくられた映画だと知りました。ホルヘの側から見て「やむを得ない」ことでも、「見捨てたから拷問を受けた」のも事実です。教皇名をフランチェスコと著名な聖人から借りたことは、彼が映画で描かれたような自分の人生をすべて引き受けて、教皇として生きることを訴えたように思いました。(62歳 男)
こわかった!すごかった!寒かった!
独裁政権の中、信仰と行動をどう対応するか。一人間として問われる。正しさとは何か。人間ドラマとして良い映画でした。(匿名)
「司教には苦しみと祈りが必要だ」という法王の言葉が心に残りました。(女)

現法王が純粋に高潔な理想主義的な宗教家ではなく、結構したたかな策謀家であり、とりわけ独裁政権下において、安全な位置から決して踏み出さず、詰まり、真には闘わず「慈愛ある傍観者」でしかなかったことを、包み隠さず、正直に描いているのには、少し驚くものがありました。ただ、それだけに、何故この人物が法王に選ばれたのかは、結局、さっぱり判りませんでしたが…。ほぼ全編がスペイン語なのに、タイトルが「Call me Francesco」と英語でスクリーン上に表示されていたのにも違和感ありました。(66歳 男)