2018年1月例会『ラスト・タンゴ』

解説

最も有名なタンゴダンス・ペアの半生を綴る情熱ドキュメンタリー

 『ラスト・タンゴ』は、14歳と17歳で出会い、アルゼンチン・タンゴの魅力を世界に知らしめたタンゴ史上最も有名なダンスペアとされる、マリア・ニエベスとフアン・カルロス・コペスの軌跡をたどったドキュメンタリー作品である。
 現在の二人の証言から、彼らの歩んだ愛と葛藤の歴史をタンゴで再現。マリアと、彼女を演じる若きダンサーたちとの会話を挿入しつつ、官能的で情感に満ちたタンゴの魅力が映像に焼き付けられている。80歳を越えてもなお魅力的にダンスを踊る男女が、情熱的なタンゴへ、そしてお互いへの愛を語る物語だ。
 監督は1999年に『不在の心象』で山形国際ドキュメンタリー映画祭の大賞に輝いたヘルマン・クラル。『ラスト・タンゴ』もまた、「トロント国際映画祭」に正式出品、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」コンペティション部門出品など、様々な映画祭に出品され注目を集めている。

コペス&ニエベス
 映画でタンゴを踊る彼らを見ただけでいかに素晴らしい踊り手だとわかるが、彼らのことを簡単に紹介したい。
 コペス(Copes, Juan Carlos)は1931年、ニエベス(Nieves Rego, Maria)は1934年、二人ともブエノスアイレス生まれのダンサー、振付師。
 1950~60年代、タンゴ・シーンにおいて偉大な足跡を残したダンスペアであり、同時にタンゴの国際的な普及にも貢献した。カルロス・コペスとマリア・ニエベスのコンビはアストル・ピアソラと舞台を共にした唯一のペアとなり、アニバル・トロイロと共演した最後のペアになった。1983年コペスとマリア・ニエベスは、パリで初演される予定のレビュー「タンゴ・アルヘンティーノ」のメンバーとなるべくクラウディオ・セゴビアとエクトル・オレソリに招かれた。コペスはさらにグループの振り付けも担当した。
 これ以降のタンゴ振付師としてのコペスの業績は数多いが、代表的なものとしてロベルト・ゴジェネチェとアティリオ・スタンポーネと共演した「タンゴ、タンゴ」(1988年)、ブラジルで上演されたピアソラとオラシオ・フェレール作のオペリータ「ブエノスアイレスのマリア」、一部で物議をかもしたスペイン映画「タンゴ」(カルロス・サウラ監督、1998年)などが挙げられる。

圧巻のタンゴ
 天使のように舞う初恋のダンスから、「彼女にはウンザリだった」「コペスなんてクタバレ!」と、口論のごとく激しく足を絡め合う憎しみのダンスまで、タンゴの名曲「バンドネオンの嘆き」 や「ジョ・ソイ・エル・タンゴ」 に乗せて、世界的トップダンサーたちが二人の波乱の人生をドラマティックに表現している。舞台でのダンスシーンはもちろんのこと、当時の映像や、雨の中道端で踊るシーンなど様々なダンス場面が覗ける本映像は、50年にわたるままならない男と女の愛、そしてタンゴが人生そのものであることが熱く伝わってくる。
伝説的な二人のタンゴ人生を青年時代、壮年期に分け、それぞれを当代きってのタンゴ・ダンサーが演じて踊るダンス・ドラマでもある。
単にインタビューだけを見せるのではなく、若い頃のマリアとフアンのタンゴ場面は、物語調に美しく再現している。
 映画『タンゴ・レッスン』で本人役を演じたパブロ・ベロンや、タンゴダンス世界選手権の優勝者ダンサーなどがタンゴを披露します。伝説のアルゼンチン・タンゴの母と呼ばれたマリア・ニエベスと、現在の一流ダンサーたちを交えて映像化するという構成が、まず面白い。
 マリアが次世代の若者に自然な形でタンゴを継承する様は、まるでワークショップのようにも見えてくる。マリアがもっとこうしなさいと《当時のマリアとフアンの情熱的タンゴ》をダンサーたちに教える場面は作品の魅力のひとつだ。これはインタビューだけでは見ることはできないし、当時の映像だけでは観客にも伝わらないのではないだろうか。
 また、ストーリーに合わせた現役ダンサーたちの、若い当時のマリアとフアンの軽やかで魅惑的なステップと、熱狂的な踊りは、タンゴファンならずとも一見の価値がある。
 ダンサーによるメイキングを含む再現映像や、ダンサーの二人に対するコメントまで入って、そのあたりが刺激的でもあり面白い。ダンサーたちとマリアの対話からマリアの内面を深く描くことに成功していると言えるだろう。
 破局後も長年ペアで踊り続けたマリアの赤裸々な心情吐露に、胸を抉られる思いがする。再現シーンでは台詞がないのだが、ダンサーの踊り方や振付はもちろん、視線や息遣いで感情が伝わってくるのである。その様子は私たち観客にもその感情をダイレクトに感じさせ、踊る姿の美しさと共に魅了されてしまうのである。

マリアの輝き
 1950~60年代半ば、ふたりは結婚と離婚を経験する。フアンが若い女性と再婚しマリアを激怒させるシーンがある。罵り合いながらもペアを続ける二人。若いダンサーがマリアに言う「僕なら考えられない」と。最初に観た時、私もなぜ彼らがパートナーを解消しないのか、とても不思議だった。しかし彼らが踊り続けてきたタンゴを見ているうちに、一言では言えない感情や関係が彼らの内に築き上げられてきたのだろうと思うようになった。ペアを解消してからの彼らのダンスは翼を片方失った鳥のようにも見えてしまうのだ。それだけ彼らは唯一無二のペアだったのだろう。
 タンゴに賭けた人生。恋愛であれ芸事であれ、自分の人生を賭けられるものを持つ人間は美しい。80歳過ぎたいまなお現役で輝き続けるマリアの「人生で愛した男はひとりだけ」と言い切る潔さや、恋愛と同じく一途にタンゴへの情熱を貫く姿は、とにかく「格好いい」としか表現のしようがない。
 タンゴの魅力を満載にしつつ、実はタンゴに賭けた人生を送ったひとりの女性の生き方を描ききったこの作品。彼らの生き方に共感できない場面もあるかもしれない。それでも彼らはそのようにしか生きられなかったのだろうし、つらい選択を重ねてきた彼女の人生が、今のマリアを輝かせているのに違いない。
(陽)【参考文献】
ホームページ10TANGO.COM
『ラスト・タンゴ』パンフレット

ひとくち感想

◎大変よかった  ○よかった  ◇普通  ◆あまりよくなかった  □その他  

大変すばらしかったです。主人と若い時ダンスを踊っていたので思い出して良かったです。(79歳 女)
愛憎を超えてタンゴを選(76歳 男)
タンゴはこれほど美しく情熱的なものだとは知らなかった。マリアの人生そのもののタンゴ、あの年齢でよく踊れたものだ、コペスも。(76歳 男)
タンゴと二人の人生(語り)、どちらも良かった。(73歳 男)
足で愛を語り憎しみも表すタンゴと思いました。二人の関係は日本ではさしずめ夫婦漫才の方を思い出しました。ストーリーを現実と若い方のダンスで表現してるところが芸術でした。(73歳 女)
マリアが質問に「私はプロフェッショナルよ」と云い切った時タンゴの女神だと思われました。あの軽快なダンスは80代でも毎日踊っているから維持さているんだと納得しました。その道に徹する生き方だ。感心しました。(71歳 女)
「私は私よ」この言葉がすごい!(70歳 女)
極めた人の表現力は無限大ですね。それにしてもあの年であの動き、表現力はすごい。(68歳 男)
タンゴはなんというか濃すぎて苦手なんだけど、タンゴに一生をかけた二人の人生の交錯が、ステップやしぐさや表情に見えて息苦しいほど。人生の様々な場面が若い踊り手によって踊りで表現されているのもおもしろかった。(66歳 女)
いろいろな困難乗り越えて踊り続けていくことになり、うれしくなりました。あきらめないことを教えてもらった様に思います。(64歳 男)
眩しい太陽の下はじける恋でもなく、蜜の陶酔やバラの溜息のような愛でもなく、閃く刃のように互いの想いを探り合い、挑み合うようなミステリアスで華麗なタンゴ。主人公が「唯一の男性」と愛したパートナーは、多数の女性とつき合い、彼女との外国での結婚を無効と言い、若い女性と結婚して子も成す。ペアが解消され、どちらの踊りも精彩を欠くと、(新しい妻の不承不承の納得もあってか)再びコンビを組み、又、世界最高のタンゴを演じ続けるが…。「彼の結婚を知った時の気持ちについては話したくない」「早く彼の子を産んでおけば良かった」と語る彼女は、ダンサーとしての栄光より、深い悲しみに包まれていた。「両手に花」の男も双方の女性から複雑な感情を抱かれ、居心地はどうだか。女性にも男が結婚生活を続け難い問題点があったのか。単に男の気が多いだけか。男は彼女の妊娠出産で旬の踊りにブランクを開けたくなく彼女も同意したのか。女性は子を産める期間が限られており、幼児とのふれあいの時間も貴重だが、一方、若い美しさ、知力、体力が芸術や仕事に有利である場合も多い。人生において、自分の時間や体力をどういうバランスで使っていくかは、誠実な男性の見分け方と同じく、難しくも大切なことだと思う。(62歳 女)
久しぶりに参加しました。前回は朝日ホールで観たためずい分観ていなかったんですね。今回の『ラスト・タンゴ』は観たかったので伺いました。20日14時30分高齢者がほとんどですね。1974年から参加した頃は若者でいっぱいでした。その頃は海員会館でした。(61歳 女)
マリアとフアンは切っても切れない存在。一生タンゴとともに暮らすのだから。お互いによい点が生きるコンビなのか。(56歳 男)
実在の人物のストーリー、又その映像に驚嘆した。(79歳 女)
久しぶりの大感激でした!

若かりし頃が思い出されました。(76歳 女)
美しい。(71歳 女)
いろいろをのり越えて80歳をこえても踊り続けている二人…愛憎すごいですね。(70歳 女)
夜の景色の撮り方が良かった。芸術にかける彼女の生き方もすごい。(70歳 女)
アルゼンチン・タンゴと踊り手マリアとフアン・コペスとその人生。タンゴを芸術にまで仕上げた二人ときびしい人の世、人生。その一面をよく見せた一編でした。(70代 男)
タンゴ…足さばき、足の動きがとても素晴らしい。普段あまり目にすることがないのでとても貴重な映画でした。マリアさんの苦悩がよく表されていました。ペアの難しさも感じることができました。(69歳 女)
芸術家は本当に素晴らしい人生を歩まれますね。(66歳 男)
2回目なので、タンゴの踊りを十分楽しめてよかったです。バレエや他のダンス、フィギュアスケートなどのペアの結成、解消と似ているのかなと思いつつ見ていました。(66歳 女)
自分の生きてきた人生を映像を使って振りかえる。私の人生もおもわず振り返ってしまいました。踊りが素晴らしいです。(65歳 男)
ドラマではなくドキュメンタリーだったので驚きました。タンゴは鮮やかだったけど、生き方としては古臭く感じました。いわゆる「会社妻」か本妻か、男の周りをまわる人生。私たちはそうではない人生を歩みたい。たとえ少々遅くても!せめて今日から。(女)
人は内なる欲求につき動かされて生きているのかも知れない。幸せになる為とか、生きがいをみつける為とか…いろいろ云うけれど、結局は、自立して、一人で決断して、生きていくんだろうな。(女)

所謂「メタドラマ」的手法も盛り込み、アーカイブ映像もふんだんに使い、非常に工夫を重ねての労作ではあろうと思うが、結局、マリア・ニエベスとフアン・コペスを熟知している方々が、その存在を再確認するということに留まるもののような印象は否めなかった。「タンゴ」についての造詣も愛着も特に持たない身にとっては、どの曲もどの踊りも皆、同じように見えてしまい、手許に届いてくることがなかったのは、自らの不明とは言え、残念だった。全編が、ほぼ二人の愛憎の軌跡でまとめられてしまったのも、さてどうなのだろう。マリアの最終的な達観へと至るものが、ただその部分にのみ収斂されてしまったように見えて、それもそんな締め方でいいんだろうか、との疑問は残った。ちょっと私には遠い一品でした。(66歳 男)
ドキュメンタリータッチの作品が続きすぎます。一年に一本で十分。サポート会員も再考します。(54歳 男)

タンゴの魅力。(56歳 男)