2017年11月例会『シアター・プノンペン』

解説

1本の映画がつなぐカンボジアの過去と未来

 この映画の舞台は東南アジアのカンボジアだ。誰しもが頭に浮かぶのは、「アンコールワット遺跡」だろう。カンボジアの国旗にも描かれているこの遺跡の発見は意外に新しく、フランス人のアンリ・ムオ氏により、1860年初めに発見されている。
 当時の東南アジアは西洋の人にとってはまだ「未開の地」というイメージが強く、多くの探検家がアジアのこの地域を訪れている。
 余談だが俳優のアラン・ドロンは1950年代前半、ベトナムがフランスからの独立を掲げ、戦った第一次インドシナ戦争にフランス連合軍の一員として従軍、インドシナの地にいた。

映画の舞台とその時代
 映画『シアター・プノンペン』は1960年から2000年までの40年に渡る「カンボジアの歴史」を一本の古典的なラブ・ストーリー映画を足がかりにしながら描いた作品だ。
 カンボジアは国家統合を担う主体の国家そのものが外部世界の影響をもろに受けて、左右に幾度も大きく揺れた国である。1953年に「カンボジア王国」としてフランス連合から独立すると、シハヌーク自ら政党を作り、王室と仏教と社会主義に基づく国作りを始めたが、親中国・反アメリカの彼の政策に反発した親アメリカ派の軍人ロン・ノルがクーデターで実権を握り、1970年「クメール共和国」と名を変える。ベトナム戦争がカンボジアに拡大、北ベトナム軍がカンボジアで活動を始めるとロン・ノルは北ベトナム軍を掃討するためにアメリカ軍のカンボジア侵攻を認め、国内で政府軍と共産主義勢力(民族統一戦線)との内戦が始まることとなる。この時、カンボジア空爆の米軍機は沖縄の基地から飛びたっていたのだ。
 1975年にベトナム戦争が終結すると、中国の毛沢東思想に強い影響を受けたカンボジア共産党のポル・ポト(本名はサロト・サル)が実権を握り、「民主カンプチア」となった。彼は原始共産主義の社会を目指し、これまでの古い価値、思想、制度を壊し、新しい社会実現のため、都市住民や知識人を農村地帯に追いやり、農作業や土木作業に従事させた挙句、些細な理由をつけ、大半の男性を殺害した。その結果、凡そ4年近い、その過程の中で160万人強とも言われるカンボジアの人々が亡くなり、生き延びた人々に対しても精神的、身体的に大きな傷を残すこととなったのである。

シアター・プノンペンの物語
 映画の冒頭、プノンペンの街の喧噪を引きずりながらバイクで走りまわる若者たち。
主人公の女子大生ソポンもその中の一人だ。病の母、厳格な軍人の父、口うるさい弟との暮らしにうんざりし、授業をサボり、遊びまわっている。ある日、友人とはぐれ、さまよう夜の街で今は駐輪場として使われている廃墟のような映画館を見つける。
 偶然、目にした古ぼけたスクリーンに映し出された自分と同じ顔の少女。やがて映画館のポスターからその映画が1974年、ポル・ポト派がカンボジアを支配する前年に作られ、母ソテアが主演した未公開のラブ・ストーリー作品『長い家路』だと知る。
 映写技師のソカから映画の最終巻が内戦で紛失し、結末を見ることが出来ないと聞かされたソポンは彼の下、病で生気をなくした母の為に映画の最後を撮り直せないかと告げる。
 一方、ソカも40年前、もし生き延びたならこの劇場シアター・プノンペンで逢おうという女優ソテアとの約束を思い出していた。映画作りは様々な人の協力の下、進み始めるのだが…。

カンボジアの物語をカンボジア人の手で語る
 2001年、アンジェリーナ・ジョリー主演の『トゥームレイダー』で本格的に映画にかかわった監督のソト・クォーリーカーは自分の生まれ育ったカンボジアがスクリーンに映し出された事に心を動かされ、いつか自分もカンボジア人として自分の手で国際的な舞台にカンボジアと映画を届けたいと思うようになったと語っている。
 2005年、監督の思いはこんな強いものへと変わっていく。「私は自分が物語を語りたい、カンボジアとカンボジア人の物語をカンボジアの視点から語りたいという思いに気づきました」と。また「様々な国の映画人によってカンボジアの映画が製作されるようになりましたが、それはあくまで外国人の視点から見たカンボジアであり、情緒的ではなく情報的な作品でした。世界はカンボジアを外から見る視点だけでなく、中から見る視点も必要としている。私たちの国の、私たちの家族、私たちの感情の物語を、内からの視点で語る必要を感じたのです」と。

監督自身と、すべてのカンボジア人の物語
 映画の主人公、女子大生のソポンは監督自身の投影だ。監督の父もパイロットいう職業ゆえに虐殺され、母は一人で子供二人を苦労して育てたという。そんな母に亡くなった父や家族の歴史「忘れたくても忘れられない記憶」を聞くことは憚られたという。映画の中の父親像は伝統的なカンボジア人像であり、家長として、伝統的なやり方で娘や家族を守る父として描いたという。主人公ソポンは父親からの見合い話に「この国では人生において女性が生きる道は限られている」と反発する。ソポンの父親を元ポル・ポト派で現在はカンボジア政府軍において地位の高い軍人として描いているが、それは1998年カンボジア政府が和解プロセスの中で、ポル・ポト派を政府の中に招き入れ、それによって国を一つにしようとした経緯がある事の反映だが、国民はその事をどう感じていたのだろうか?
 ポル・ポトの時代、カンボジア人の誰一人として、その時代に関わらずに生きてこなかった人はいない。作品の中で映画作りを進めた人達も映画作りを通じて過去と向き合い、新たな未来をみんなで作り出そうするとカンボジア人だ。それは、暗い時代、真っ先に殺されたのが映画人たちであり、映画文化が当時のこの国の人々に如何に強い影響力を与えていたかの証でもある。

過去と向き合い、未来を創ろうとする思い
 映画の中、歴史の生き証人として写し出される過去の時代を連想させるいくつかの場面。一方、そんな時代を知らずにバイクで遊びまわる若者や大学での若者たちの今を描く監督。映写技師ソカの頭を丸める場面を作り出す事で過去と共にこれからを生きる人々の心の変化、過去との様々な「和解」を描き、また完成した映画の試写会の会場に多くの人々を招き入れることで過去を乗り越えようとする人々の今を描こうとする監督。映画は新しいカンボジアの明日をみんなで創り出したいという監督ソト・クォーリーカーの母国カンボジアへの思いを込めた熱いものであり、世界中の人たちにこの作品を見て私たちの国を感じてほしいというメッセージが込められている。
 監督の作品とカンボジアに対する同じ思いを、過去の暗い時代を経験、体感した人々が共有でき、新しい国創りに進む事のできる体制と心作りを自分たちで作り出そうとする強い思いを抱えている人たちがどれだけこの国にいるのだろうか。大国の思惑に左右されず、自分たちの暮らしを大切にするための国創りを切に願う。 
(水)
参考文献:「東南アジア近現代史」岩崎育夫(講談社)/「ポル・ポト革命史」山田寛(講談社)/東京国際映画祭来日時の監督インタビューなど。

ひとくち感想

◎大変よかった ○よかった ◇普通 ◆あまりよくなかった □その他

戦争をはさんで親子の愛憎、最後はハッピーエンドに終るが、戦争は人間の尊厳をうばうものだ、という言葉が実感出来た。(76歳)
最後の「真実は多面的」ということばに、同じ映画の『羅生門』や、「群盲象をなでる」という諺を連想した。それにしてもカンボジア(に限らないが)の人々は重い歴史を負っていると思った。(73歳 男)
なかなかの内容でした。濃い歴史がやはり内容を作りあげたのですね。真実は…、私が思っていたことより複雑でした!(72歳 女)
サークル資料、今回は大へんな情報で、カンボジアの歴史の一端が少し理解できたようです。監督のカンボジア人の立場からよく撮られたと思いました。日本もしっかり歴史教育、特に近現代を教えなければ大へんな負荷を残すと思いました。(71歳 女)
戦争(国内)でも人間と人間の争いは「絶対」にいやです。歴史を隠しても、事実はあきらかになるし、解きほぐす必要に迫られることに! 映画の中の映画でリアルに再現、時間が短く感じました。やっぱり戦さはダメです。(70歳 女)
カンボジア国民が、単にポル・ポト軍を敵対することがメインでなく、国民自身が関わった家族愛がメインだった脚本がよかった。(67歳 男)
とても良い映画でした。平和がいかに大切かを、知らされる映画でした。(66歳 男)
カンボジアの過去と未来をつないで、新しい国作りをめざしたいという女性監督の思いを強く感じる事が出来、またあまり知られないカンボジアの歴史にふれた作品だった。(64歳 男)
1974年は、日本は高度成長期のピーク時ぐらいだったが、カンボジアでは戦中であり、悲惨な時代の真っただ中だったということが再認識できた。クメール・ルージュとポル・ポト政権告発映画。(64歳 男)
ポル・ポト時代の事を思い出しました。私はカンボジアの映画は、初めてかと思いますが、新鮮な気持で鑑賞させてもらいました。特に音楽は興味をひかれました。(64歳 男)
ハリウッドのように製作費はかけられないけど、映画の魂があったと思います。愚かな戦争につながるリスクがいっぱいの今日、とても意味のある映画を観賞できてよかったです。これは蛇足かも知れませんが…、何かお急ぎだったのかもしれないけど、照明を落とした劇場から移動されるのはどうかと思います。せっかくの楽しみの場所がケガなどのアクシデントがないように。お互いのために。(63歳 女)
「ハスの花咲く湖で白馬の王子に見初められた村娘は、弟王子にさらわれるが、仮面の村人に救われ、苦難の旅を経て、喜々として小舟で王子の元へ向かう」のが原作。映画監督(王子)の弟である脚本家(村人)が望んだのは、「娘が村人に心を移し、顔にコンプレックスを持つ彼の仮面をはずさせ、そのままの彼を愛する」という筋。弟が拷問され「兄は監督である」と言ったため、兄は殺され、村娘役の女優はポル・ポト軍の兵士の妻とされ生き延びる。古びた映画館で女優との再会を夢見る脚本家と偶然出会い、母の愛の秘密を知った女優の娘のシナリオは、「脚本家は悔いて僧となり、母は対岸の小屋の中の無数の頭蓋骨の中に眠る恋人に会いに、輝く顔で小舟で湖をすべってゆく」だった。父も、母の銀幕の晴れ姿を見守る。母の心の安定のため、家族の平和のため、父が母の恋人を手にかけた事は、娘たちの心中に封印された。ポル・ポトの暴力支配の中で、三人の男の愛に翻弄された母。父は娘に結婚を無理強いするのはやめ、自由に愛を貫かせるだろう。普通の時代でも横恋慕はあり、現在はストーカーも多発する。相思相愛だった人が浮気をし、憎み合ったりする。恋愛や結婚は工夫や努力のいる結構難しいものだが、そこに権力による暴力・殺戮まで加わり愛憎の嵐に。恋の憧れ、結婚生活の平穏な幸せは素晴らしくあって欲しい。(62歳 女)
『キリング・フィールド』でしかカンボジアを知らなかったので冒頭でびっくり、ラストで感動。加害者の苦しみにも触れているのが良かった。(62歳 男)
彼女の父親が「映画監督を殺したのは自分だ」と言っていたが、実際は彼の上官が怖くて仕方なしに見て見ぬふりをしていただけなのに。彼が責任を持ってあの映画監督が愛していた女性を守ろうとして妻にしたつもりが、妻子に対して厳格も厳格になってしまったなんて。戦争は人の家族まであんなにメチャメチャにしてしまうなんて。本当にゾっとした。(56歳 男)
「オバケの出る所だよ」と教えてくれた男の子がタコあげをしていて(同じ子ですよね…)平和な時代が来たのだと痛感しました。地雷ももううまっていないのですね。もうこんな時代は来てほしくありません。日本にもです。心から願います。少しおそいかもしれないけど何かしなければと思います(53歳 女)
明快な内容で社会性があり、甘美と希望があって、大変面白かったです。有り難うございました。(女)

ポル・ポト政権の事は知っている様で、改めて恐ろしさを知りました。(78 女)
断片的にしか知らなかったカンボジアの辛い過去が知れるいい映画でした。そして人の辛い人生にも隠れた過去があるのを判らないといけない、ということも。いささか御都合的なところもありましたが、初めてのカンボジア映画で、この国が少し近くなりました。(70歳 男)
戦争の時に映画人が殺されている事は知りませんでした。それだけ文化・芸術が、人間にとって大切なものだという事ですね。戦争絶対反対!(69歳 女)
大人たちがふれられたくない過去を見つめ直して、明日から生きるのに、我がまま娘と不良の彼が一役買うのが楽しいですね。(68歳 男)
真実はひとつ、でも多面体なのね。(68歳 女)
相当にあらっぽく、辻ツマの合わないところもないではないが、そんな作品的な水準をどうこう言うことをためらわせてしまうような、深い哀しみと情感を頂きました。ラストに並べられる、あの混乱下で殺された映画人たちの写真群には息を呑みますが、そのような時代を踏まえた上で、作品の中で、ポル・ポト兵士や、その協力者たちを「許す」という地平に至る、その寛容さにも「カンボジア」という国の凄みを思います。個人的には、学生時代、映画館の上映技師の手伝いバイトをしていたので、35ミリ上映機を扱う場面がとても懐かしく嬉しかったです。(65歳 男)
2回目なので、歴史も含めてよく味わえました。ヒロインの成長に合わせて、わたしたち日本人も過去に犯した日本人の過ちに向き合っていけると思いました。家族関係、父と娘、母と娘はどこも変わらないということにもあらためて気づきました。よかったです!(65歳 女)
ニュースで知っていたが、歴史の中で生きていくには酷な事実だ。でも真実を知っていって家族やみんなが変わっていくのがよかった。十字架をせおっていくのにはつらいなぁ。日本も同じような戦争のことがあるなと。(63歳 女)
始めのシーンで、カンボジアの今の風景(バイク天国)の様子が垣間観れてよかったです。今年、福岡アジア映画祭でかかったブータン映画『蜜をとる人』(観に行っていないので)観てみたい!と思っています。(51歳 女)

あまり物語が入りくんでいて、よく理解出来なかった。(76歳 女)