6月例会(第636回)
ゴヤの名画と優しい嘘

🔳トップページ 例会は金曜日、3回目の上映は19時(午後7時)からです
  6月19日()①11:30 ②14:30 ③19:00  神戸朝日ホール
  事前予約(電話、メール)受付中 1700円 → 1300円 078-371-8550

197年の歴史を誇るロンドン・ナショナル・ギャラリーで起きた、
フランシスコ・デ・ゴヤの名画「ウェリントン公爵」盗難事件。
事件に秘められた優しい嘘と 、驚きの真実とは
【監督】ロジャー・ミッシェル
【製作】ニッキー・ベンサム
【撮影】マイク・エリー
【脚本】リチャード・ビーン、クライブ・コールマン、
【音楽】ジョージ・フェントン
【出演】ジム・ブロードベント、フィオン・ホワイト・ヘッド、ヘレン・ミレン
【原題】The Duke
 (2020年/イギリス/95分)
【原題】ハピネットファントム・スタジオ

泥棒が法廷で社会に向けて言いたかったことは

 この映画が生まれた経緯は2010年代後半、一通のメールが映画プロデューサーに届いたことだ。送り主は1961年ロンドンのナショナルギャラリーからゴヤの名画「ウエリントン公爵」を盗んだケンプトン・バントンの孫からであり、名画盗難の真実を明かしたいとの想いからだった。
 冒頭、ナショナルギャラリーでウエリントン公爵の絵画が盗まれ時、ムンクが「絵画が盗まれた」と叫んでいる…。
 絵に描かれたウエリントン公爵は1809年及び1815年に起きたイギリスの対ナポレオンとの闘いで二度もナポレオンに勝利したイギリス人なら知らない人はいないイギリスの英雄。
 映画『ゴヤの名画と優しい泥棒』の舞台はイングランド北東部にあるかつての工業都市ニューカッスル。ケン・ローチ監督作品『わたしは、ダニエル・ブレイク』(16)、『家族を想うとき(19)の舞台となった街で現在は商業、文化、教育の都市へと転換。サッカーチームのニューカッスル・ユナイテッドfc本拠地であり、熱狂的なサッカーファンの街としても知られている。
 4月例会『コット、はじまりの夏』はイギリスの隣、アイルランドが舞台だったが、イギリスの産業革命前後にはアイルランドからの大量の移民をイングランドやスコットランドは労働者として受け入れ、イギリス経済を下支える原動力となった歴史がある。ビートルズのメンバー(ジョン、ポール、ジョージ)のルーツもアイルランドだ。
 映画の冒頭、主人公ケンプトンの家に郵便局職員がTVの受信許可書の確認と受信料支払いの催促にくる。
 世界で最初の公共放送といわれるイギリスBBCは1922年に英国中央郵便局と六つの電気通信会社の共同出資により設立され、1927年に正式にイギリスBBCとなった。その流れでTV放送の受信料や受信契約管理を中央郵便局が引き受けていた経緯がある。
 郵便局職員が訪れた時、TV放送でBBCを見られないように細工する(日本でも同様な話は時々聞く)が、法的には許されず刑務所行きとなるケンプトン。
 ロンドン生まれで日本暮らしが長い音楽評論家ピーター・バラカン(1951年生れ)によれば彼の子供時代にはTV放送は朝少しと昼間(おかあさんといっしょ的番組)、夜も遅くまでの放送はなく、チャンネルもBBCと民放の二チャンネルしかなかったそうだ。
 TVは「孤独の良薬」とケンプトンは呼び、TVをみる行為が人々の孤独感を開放する手段の一つだと考えていた。そんなイギリスでは孤独を国を挙げて取り組む社会問題として捉え、2018年に政府内に世界ではじめて孤独担当大臣を配置した。
 何をやっても長続きしない高齢者の主人公ケンプトンを支えるのは妻のドロシーだ。議員の家庭で家政婦をやり、まずしい家計を支えている。見方によれば彼女が一家の大黒柱とも言えなくもない
 ケンプトン・バントンは1904生まれ。善悪に対する正義感を持ち、劇中でも描かれるように権力者、雇用主と対立、仕事は長続きしなかった。家計を支えたのはアイルランドにルーツがある妻のドロシー。彼女の心の重荷となっていたのは自転車事故に遭い、わずか一八歳で亡くなった長女のマリアンだ。一度も娘の墓参りに行くことがない。一方、ケンプトンは机の中に娘の写真をしまい込み、娘を題材にした戯曲をメディアに持ち込む。
 いつの時代も庶民はヒーローを待ち望む。イギリスなら中世に義賊として登場したロビン・フッドだろうか。金持ちから財産を奪い、庶民に分け与えた。
 ケンプトンは「年金老人に無料TVを」という謳い文句を、TV受信料を回収にくる郵便局職員に、また街角に立ち、通りかかる市民にも声かけをする。
 イギリスの1961年当時、老齢年金は夫婦二人で32.8ポンド。公共放送BBCの受信料は3.3ポンド。年金の一割を受信料が占めていた。
 ケンプトンは第一次世界大戦(1914年~1918年)に参戦し、イギリスに帰還した人々が少ない年金暮らしで苦しい生活を送る中、政府が庶民の税金を使い、14万ポンドでウエリントン公爵の絵画を購入したことに強い不満を持ち、「年金老人に無料TVを」の行動にでる。ロンドンへ行ったのは亡き娘を題材にした戯曲の売り込みと国会議事堂で「TV無料を」の主張を議員に訴えるためだった。この時、劇中にロンドンの観光名所を監督はさりげなく取り入れてくれている。
 絵画盗難が大ごとになる中、長男の恋人や妻ドロシーにも盗難がばれ、ケンプトンが紙に14万ポンドの絵画を包んで美術館に返しに行くシーンには笑えた。謝礼金欲しさに絵画を盗んだ次男ジャッキーもまさかこんな展開を最初は想像していなかったはずだ。
 映画の法廷シーンでケンプトンはこう言う。「私は一つのレンガのような存在だがレンガも積み上げれば家が建ち、雨も風も防げる」と。誰かが困っていれば手を差し伸べるのは当たり前だ。
 2010年代のイギリスはリーマンショック後の緊縮財政、EU離脱による政治的分断、貧富の格差拡大と社会が揺れた時代。自分ファーストの中、監督が描きたかったのは人々の繋がりをもう一度取り戻したいという思いだ。
作品全体を通してウイットに富んでユーモラスな会話の数々が楽しめ、「くすっ」と思わず笑える、そんな作品。肩を張らずに楽しんでほしい。
 戦後、イギリス政府が労働者階級のために建設した住宅、街の風景と子供たち、自転車で通勤する労働者たち。ケンプトンが働く二つの職場(タクシー会社とパン工場)。どれも同じ時代を生きてきたような懐かしさを覚える。
最後には監督のサービス精神で007シリーズ第一作『007/ドクター・ノオ』(62)に主演し、スターとなった俳優ショーン・コネリーとゴヤの名画「ウエリントン公爵」に出会えるのも嬉しい。
(水)
参考資料:厚生白書(昭和52年度版)、総務省「諸外国の公共放送及び受信料の概要」