機関誌5月号 通巻797号より
市民映画劇場5月例会(第553回)

原題:LES INNOCENTES
監督:アンヌ・フォンテーヌ
出演:ルー・ドゥ・ラージュ
2016年/フランス=ポーランド/115分

悲劇の中から灯りを見い出す人間の強さ

 人間は心と体に生涯忘れられない痛みと傷を負った時、何を支えにそれからの人生を生きていくのでしょうか?
 映画『夜明けの祈り』の出発点は第二次大戦末期のソ連兵によるポーランド修道女への性暴力事件を題材にしていますが具体的には描かれていません。
 映画はモノトーンと静寂、透明感という背景を見る者に強く印象付ける作品となっています。

フランス語の原題はLes Innocentes (罪なき者)
 作品は史実を基に作られており女性監督(アンヌ・フォンテーヌ)自身の視点で突然の悲劇に遭った若き修道女たちのそれからの日常と彼女たちを献身的に見守り悩みながらも暗闇の中の明かりとなる若きフランス赤十字の女性医師マチルドの生き方を丁寧に描いています。
 戦争と性暴力をテーマとした作品はテーマ的にも興行的に難しく制作本数も少ないのが現状です。
 以前ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争をテーマにした『サラエボの花』(2006)という作品を見た時に感じたのは「それでも人は生きていく」という強い思いでした。
 映画は娘が修学旅行時、旅行の補助金を貰うために紛争で殉職したと母から聞かされていた父の事を改めて母に訪ね、自分の父親が実は敵国の兵士で自分は性暴力の末に生まれてきた事実を知る。主人公の母親は戦時の悲劇をひた隠しにしながら幼い我が子を育ててきた事を娘に告げる、そんな内容でした。
 タイトルの「サラエボの花」とは紛争により沢山のつらい思いをしてきた女性たちやこれからを生きる若い世代の女性たちを表すものだと今、作品を振り返って思います。映画の持つ強さ、人間に対する暖かさ、希望を感じた一本でした。

 『夜明けの祈り』を映画化するにあたり、監督が着目したのは第二次大戦末期の衝撃的事件と共にその渦中でフランス人医師マドレーヌ・ポーリアックが自らの命も顧みず人道支援に飛び込んでいく姿でした。監督はポーリアックの手記を基にマチルドという女性を主人公に設定し、作品の中心に据えました。
 彼女の存在なくして若き修道女たちは救われなかっただろうし、修道院自体も地域との共存の道を歩めなかったに違いありません。
 映画は彼女自身の目線を道案内人として描かれています。

ストーリー
 1945年12月のポーランド。赤十字医療所の勤務医フランス人マチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)は負傷兵を祖国へ帰す日々に追われていました。
 ある日、マチルドの前にポーランド語で助けを求める修道女が現れ、彼女のひたむきさに心が動いたマチルドはカトリック系の修道院に案内されます。
 マチルドが目にした修道院の風景は信仰と相いれない妊娠し苦しむ修道女ソフィア。手術で赤ん坊を取り出し、翌日も修道院を訪れるマチルド。やがて妊娠した多くの修道女から事件のあらましを聞き衝撃を受けた彼女だったのですが…。

修道女マリアの言葉
 映画の舞台、修道院の場面で信仰についてシスターのマリアが語る言葉には普段、信仰と遠い暮らしの私にも少しはわかる箇所があります。
マリアはこう言います。「信仰とは最初は子供と同じ。父親に手を引かれて安心する。そしてある時、父親が手を放す時が必ず来る。迷子になるの。暗闇で叫んでも誰も応えない。それは突然にやってくる。それが十字架。喜びの後ろに必ずあります」と。
マリアと打ち解けたマチルドは自分の人生を振り返りこう言います。「今までの人生に後悔してはいない」と。
映画の最後、マリアからマチルドに届いた手紙にはこう綴ってあります。「親愛なるマチルドへ。暗い雲は消え去って空には太陽が輝いています。あなたは私たちの心の中にいます…。神があなたを導いてくれました。苦しい時も神と共に喜びに包まれますように」と。
このマリアの言葉こそが映画が描きたかった大きなメッセージのひとつだと私には思えます。

「マドレーヌ・ポーリアックの物語」
 マドレーヌ・ポーリアックは27才の時、パリの病院で働いていてレジスタンス運動に参加。同盟国の落下傘部隊に物資の供給や支援を行いました。
 1945年のはじめ、フランス内務省の中尉医務官としてモスクワのフランス大使館駐在の将軍命でモスクワにて祖国兵士帰還の任務を指揮します。
 ポーランドは悲惨な状況にありドイツ占領軍に対してワルシャワ蜂起(1944年8~10月)を決行した2ケ月間で殉教者の街ワルシャワは国内軍2万人、市民18万人の死に見舞われます。
 この間、スターリンの命令により1944年1月からポーランドに駐留していたソ連軍はヴィスワ川対岸で待機し、ポーランド市民に救いの手を差し伸べず見殺しにしました。
 ドイツ占領軍の撤退とドイツ人による暴力行為の発覚後、ソ連軍とその暫定政権は解放された領土を支配します。
 こうした背景の中、マドレーヌは1945年4月、ワルシャワの廃墟と化したフランス病院のチーフドクターに任命されます。彼女はフランス赤十字でフランス軍兵士の帰還任務に当たっており、この任務をポーランド全土とソ連の一部で行いました。
 ポーランドでのフランス軍兵士の送還任務は200件に達し、その任務は救急車の運転手をはじめ女性で構成された赤十字のボランティア部隊と共に果たされます。このような状況の中、マドレーヌは性的暴行を受けた女性たちに医療を施しただけではなく、その心も癒し、修道院を救う手助けをしました
 そして1946年2月にワルシャワ郊外で任務の遂行中、事故死を遂げるのです。
(スウォン)