機関誌4月号 通巻796号より
市民映画劇場4月例会(第552回)

市民映画劇場4月例会(第552回)
笑う故郷

原題:El ciudadano ilustre
監督:ガストン・ドゥプラット マリアノ・コーン
出演:オスカル・マルティネス
2016年/アルゼンチン=スペイン/117分

あなたは誰のどんな視点で、この悲喜劇を見る?
 『ル・コルビュジエの家』の奇才マリアノ・コーンとガストン・ドゥプラット監督が、アルゼンチン出身のノーベル賞作家が40年ぶりに帰郷した小さな田舎町で、歓迎ばかりではない濃密な人間関係の渦中に呑み込まれていく悲喜劇の行方を描いたコメディ・ドラマ。
 脚本はアンドレス・ドゥプラットで、もともとは建築家である。しっかりした建築そのもののような構成、展開で、途中から、身震いし、ラストに深い余韻を残す。このトリオの新作が、アルゼンチン、スペイン合作の『笑う故郷』だ。主演はこの作品の演技でヴェネチア国際映画祭主演男優賞に輝いたオスカル・マルティネス。彼は、アルゼンチンで大ヒットした『人生スイッチ』に出演し、酔っぱらい運転で、人をひいてしまった息子を守ろうとする裕福だが狡猾な父親役を力演した。
 今作のダニエル役はまるで一人芝居。ダニエルは、故郷の人物や事物に材を得て、土地の持つ閉鎖性を徹底的にからかい、風刺する。そのような作家を、古くからサラスに住む人たちが、心底、歓迎するわけではない。このような設定を、なめらかに演じぬく力量に驚く。ただならぬ役者だと思う。昨年のヴェネチア国際映画祭では、主演男優賞を受けている。

(物語)
 世界的な成功をおさめた作家ダニエル・マントバーニは、生まれ故郷であるアルゼンチンの町サラスから「名誉市民」としての招待を受け、40年ぶりにヨーロッパから帰国する。彼の小説はサラスでの思い出から着想を得たものも多く、故郷の人々から盛大に歓迎される。青春時代を過ごした田舎町で旧友たちとの昔話に花を咲かせ、初恋の人と感傷的な再会をするダニエル。町の絵画コンクールの審査員長を依頼されたり、熱い視線を送る若い女性が出現するなど、心地よい驚きと秘密の喜びを味わう。しかし、いつの間にか彼を取り巻く事態は思いもよらぬ方向へと転換し、田舎町サラスと国際人ダニエルは悲喜劇の渦に飲み込まれていく……。

 冒頭、ダニエルは権威あるところからの表彰や、講演の依頼など、ことごとく拒否していることが分かる。そしてノーベル文学賞の授賞式が映し出される。やや斜めに構えたダニエルが、スピーチする。権威に批判的なダニエルらしく、「受賞は喜びよりも作家としての衰退のしるし」と言い、自分の芸術観を述べる。会場はシーンとするが、やがて拍手が増え始める。ダニエルの辛辣な表情が、少し緩む。こういったファースト・シーンから、観客の目と耳をぐいと引きつけてしまう。うまいものである。
 この映画がユニークなのは、そうしたダニエルと町民の双方の立場から、異なる楽しみ方ができる点だ。ダニエルの視点からは、閉鎖的な地域社会に舞い戻った芸術家が、しがらみや偽善を否定して自分の価値観を貫いた結果遭遇する驚きと恐怖の体験記として楽しめる。一方、町民の視点からは、地域社会に貢献するべきセレブなのに手土産ひとつ持ってこない世間知らずのゲス野郎に対する痛快な復讐劇として楽しめる。
 小さな町サラスでは、徐々に、嫉妬に代表される閉鎖的な市民感情が高まりを見せはじめる。かつて、ダニエルが小説で描いたことに、ダニエル自身が強烈なしっぺ返しをくらうことになる。ノーベル賞受賞から五年たっても小説がさっぱりかけないダニエルを名誉市民として招待した市長にも思惑がある。支持率を上げるために有名人を呼んで盛り上げようというのだ。その市長室にペロン大統領とファーストレディのエバ・ペロンの写真が壁に掛かっていた。エビータが死んだのは一九五二年だから、半世紀以上も時代を遡ることになる。現在でもエビータ人気は根強いらしく、そこらへんを揶揄しているのだろう。ペロニスタが母体となっている正義党、通称ペロン党は最大政党でもある。

 映画のほとんどのシーンに、ブラックな笑いがちりばめてある。権威に対する人間のおもねり、反発や嫉妬が、笑いのネタになる。そして、作家ダニエルがもっとも忌みきらうことを、故郷ではいやいやながらも演じ続けることになっていく。あざやかな皮肉だ。
 前作『ル・コルビュジエの家』では隣人のリフォームがきっかけで、苦手な隣人と付き合う羽目になった自尊心の強い男の心理をホラー的要素に交えて鋭く描いていたが、今作でもその持ち味を存分に発揮し独特の世界が展開される。元カノと結婚した幼馴染みやダニエルの小説の登場人物が自分の父親だと信じる男性など、いくつかの短いシーンで、さまざまな人間の内面までも、きちんと描き分けてみせる。そしてダニエル自身も皮肉を交えて描かれる。これもまた、優れた映画の必要な条件だろう。
 その意味で邦題の『笑う故郷』には、深い意味があるように思う。ひとしく人間たちを故郷が笑っているからだ。原題の「名誉市民」も悪くはないと思うが、『笑う故郷』も、なかなかひねりが効いたタイトルではなかろうか。

 だんだん故郷の閉鎖的な空気に嫌気がさすダニエルが唯一心を開くのが、ホテルのフロントにいる小説家志望の若者だ。きっと若き日の自分を重ね彼を見ていたのだろう。彼の小説舞台はずっと故郷サラスだった。それはその町が彼自身の一部であり、故郷を捨てたのも同然でありながら故郷に郷愁を感じるという矛盾が彼の奥深くにあったからだろう。これはある意味普遍的な感情でもあり、それをサラッとすくい上げ表現できることがこの作品の優れた点ではなかろうか。
 ダニエルの次の言葉が印象に残る。「現実など存在しない。あるのは解釈だけだ。」
物事の善悪も、人生の悲喜劇も、表裏一体の関係にあるに過ぎないと思わせる、非常にシニカルでペーソスに富んだ作品で見応えがある。ラストは混とんとして作家の面目躍如たるあたり、個性が強く表れ観客の印象に残るのだ。
 あなたはこの作品で笑えるだろうか。どの皮肉がおかしくて、そして心に突き刺さるだろうか。その毒をもって私たち自身の持っている固定観念を炙り出すリトマス試験紙のような映画にはめったに出会えない。(陽)