2017年6月例会『未来を花束にして』

解説

「将来生まれる少女たちが兄や弟と同じ機会が持てるように」(エメリン・パンクハースト)

 『未来を花束にして』は、女性参政権の獲得を目差して闘った女性たちの活動を描いています。
 約100年前の遠い国イギリスを舞台にした映画は、人間らしい暮らしとは何か、誇りを持って生きるとはどういうことなのかというテーマを私たちに投げかけます。

名もなき小さな花たちが出会って
 モード・ワッツは、幼いころから洗濯婦として働く労働者階級の女性。同じ工場に働く夫サニーと幼い息子と共に暮らしている。夫は優しく、子どもはかわいい盛りで、劣悪な労働条件の職場だとは感じているが、この生活を維持するためには仕方がない、自分には他に行くところなどないのだからと受け入れている。
 ある日、洗濯物を届ける途中で、眺めていた洋品店のショーウィンドウにいきなり石が投げ込まれて驚く。女性参政権を求める運動WSPU(女性社会政治同盟)の「行動」に偶然出くわしたのだ。
 やがて彼女は同僚のバイオレットの紹介で薬剤師のイーディスを知る。秘密の集会所となっているイーディスの薬局でモードは、上流階級や中流階級の女性活動家とも出会う。
 その頃、女性参政権運動への警察の取り締まりも厳しくなってくる。アイルランドでのテロ対策で成果をあげたスティード警部が配属された。彼は捜査に初めてカメラでの監視システムを導入し、彼女たちの運動を妨げようとする。
 戸惑いもあり、積極的ではなかったモードに転機が訪れる。バイオレットの代わりに、下院の公聴会で証言することになったのだ。
 工場での待遇や身の上を皆の前で語るうちに彼女の中で何かが変わっていった。
 「もしかしたら…他の生き方があるのでは」
 やがて、カリスマ的リーダー、エメリン・パンクハーストの演説を聞いたモードは、信念をもって活動するようになっていく。

サフラジェット(原題)とは
 本作の原題サフラジェットは、女性参政権運動の中でも戦闘的な活動をする女性たちを指す言葉である。彼女たちは、デモなどで逮捕され収監されるとハンガーストライキを行った。人を傷つけてはならないとしても、商店への投石、郵便ポストの放火や電線を切る、美術品を切りさくなど過激な行動をとった。
 『未来を花束にして』の舞台の1912年は、ちょうど激しさを増す時期である。
 映画をみていると彼女たちの行動が、あまりにも不器用で割にあわないやり方にも思えるだろう。
 しかし、女性参政権を求める人々が当初から、過激な活動をしていたわけではない。又、あくまで話し合いでの成功を目指した穏便派も存在した。
 エメリン・パンクハースト夫人が紫・白・緑をシンボルカラ―とする女性社会政治同盟(WSPU)を設立したのは1903年。地道に活動しても一向に事態は好転せず、社会の理解は進まず、警察の取り締まりは厳しくなるばかり。エメリン自身は中産階級だが、設立当時からモードたちのような労働者階級の若い活動家もいて、階級を超えた連帯が生まれていた。
 「言葉より行動を」を組織のモットーとするWSPUが、その手段によって注目され、連日新聞紙上を賑わせ、社会の注目を集めて運動を前進させた事も事実である。

彼女たちが生きた時代のイギリス
 英国ドラマ『ダウントン・アビー』や時代は遡るが『エマ』や『高慢と偏見』など映画にもなった作品を書いたジェーン・オースティンの小説では、上流階級の娘たちが結婚問題で右往左往する姿が印象的だ。たとえ、貴族の家に生まれても女性だというだけで、財産を受け継ぐことは出来なかった。
 一方で職場では男性よりも長時間働いても賃金が低く、家庭では家事労働が待っている労働者階級の女性たち。映画ではモードの生活だけではなく、同僚のバイオレットの家庭を通して、DVや望まぬ妊娠、加えて一家の稼ぎ手として幼い頃から働かざるを得ない少女の苛酷な境遇を伝えている。
 女性を取り巻く社会情勢は同じでも、それぞれの置かれた場所で生きる道は異なってくる。
 だれにも平等で有効な法整備は、社会的弱者であるモードのような女性にこそ、より必要なのだ。
 夫サニーは、妻が活動に参加することを嫌い、モードを追いだし子どもにも会わせようとしないが、やがて孤立し、一人で子どもを育てることを断念する。難しい選択だが、彼が妻を理解し共に歩いていれば、違う人生があったはずだ。
 モードとスティード警部の関係も興味深い。組織の内情を教えれば子どもに会わせてやるという提案に彼女が返した手紙の文章が素晴らしい。
 「私は歩兵、あなたもです。私は裏切らない。あなたもでしょ?」と語りかけるように、そして厳しく突っぱねる彼女の態度は、南アイルランド出身のスティードの心に響く。お互いの立場は変わることがないが、スティードはモードたちが何のために闘っているのかを理解するようになる。

今、手にしているものを手離さないために
 今年1月エメリン・パンクハーストのひ孫であるヘレンさんが来日し、日本の高校生と『未来を花束にして』を見終わってから意見交換が行われた。
 その席で、一人の男子高校生から「彼女たちの行動は、人々に多くの迷惑をかけた。今で言うテロではないのか」という質問があった。
 ヘレンさんは「まずは、何が暴力かを考えてみましょう。誰が暴力を行って、どこまでそれが見えているのか。彼女たちは、ただ、いつ女性参政権が与えられるかを聞きたかっただけなのです。彼女たちは、集会もやらせてもらえず、段々過激になっていった。政府も彼女たちを押さえつけるために暴力的な事をやった。お互いがエスカレートしていったのです」
 ヘレンさんは見える暴力と見えない暴力の例として、モードが工場主にアイロンを押し付けるシーンと、彼女が彼から長年受け続けてきた誰にも言えない虐待をあげた。
 物語の後半、エミリ―の命をかけた大胆な行動は、あまりにも衝撃的だ。目撃したモードは、何かを決心したかのように工場に行きバイオレットの娘の手を持ち、連れ出す。一人の少女を助けたということだけではなく、彼女自身の過去への決別であり、覚悟のようなものがみえる感動的なシーンだ。

 モードを演じたキャリー・マリガンは、「この物語は私たち女性のための闘いだった。でも、その事実をほとんど知らないまま現代の私達は恩恵を享受している」と語っている。
 私たちが、当たり前のように手にしている権利は、長い年月を要し、志ある誰かの犠牲を伴っていることが多い。それは、女性参政権という固有のものだけではない。
 民主的なデモに対する暴力や、人々が集まり意見を交わすことさえ禁じるような社会を二度と作らないように、私たちが出来ることは何なのか。『未来を花束にして』を観た後で少しでも考えることになったら、サフラジェットたちの意志ある行動が今に生きることになるのだろう。
(宮)

ひとくち感想

◎大変よかった ○よかった ◇普通 ◆あまりよくなかった ▢その他

みごたえ有りました。いつの時代も事柄は変われど、同じ事のくり返しです。(80歳 女)
この女性たちの活動があればこその女性参政権。感謝して尚余りある。(76歳 女)
今日本ではあたり前の女性参政権、日本国憲法。英国では百年前普通の主婦がすさまじい闘士になっていき犠牲の上勝ち取った歴史を見た。日本では何でも与えられて来た。歴史の違いを感じさせられた。(76歳 男)
全く平凡な洗濯女のモード・ワッツが当時の英国の普通の状態(法律、親権、工場長、近所の人々)で女性の不平等な権利を改善させて行く勇気と行動力は現在の平和な日本人にも大きな力を与えてくれると確信しました。(74歳 男)
イギリスの婦人参政権の運動をみて、改めてその活動行動を教えられた。今の日本の中でこれだけ激しい闘争に勝つことができるかと思った。と共に日本の婦人参政権もこのようであったかと、特に共謀罪が通過したあとゆえ。(73歳 女)
久しぶりにいろいろ深く考えさせられる映画だった気がする。当たり前のことが、当り前でなかった時代/地域というのはいつの世にも存在するものだが、現代の複雑な世界は、さらに読み解きが難しい。改めて、直訴という手段は両刃の剣だと思う。(72歳 男)
子供に会えなくさせられても、自分の信念を曲げずに闘っていった女の人、そんな人たちがたくさんいたのでしょう。葬儀の集まりにはたくさんの女の人達が集まった。権力もそれを阻止できなかったのでしょう。(72歳 女)
日本はあの大戦を乗り越えながら一度も国民の手で政治を取り戻す革命を起こしていない弱さを痛感し、感動しました。(71歳 男)
日本で婦人が初めて参政権を行使できたのは1946年4月10日、私の母は選挙には私を出産したため行いけませんでした。母から聞きました。新日本建設が新聞に踊ってました。それを今は共謀罪とは。死者を出さなかったら世界中に報道されなかったとは。(71歳)
男女平等が当たり前の時代に生まれ育った、少々の不平等にも遠慮なく文句を言ってきた。しかし壮絶な、しかし強い信念で行動を続けた先人の女性達にただただ頭が下がります。(70歳 女)
パンをよこせで始まった国際女性デー。まだ百数年前、私の生まれる少し前のこと、そんなに遠くない時女性は認められていなかったのだ。せっかくの参政権なのに、今、行使されているのだろうか…。(70歳 女)
とてもすばらしい作品だった。このような運動が日本で実行されたらどうなっていただろうかと、ふと考えた。今の日本でしても、たとえば、国会周辺でのデモを「これはテロと同じだ」と主張する政権の主要閣僚が居る日本。市民は、国民は選挙・投票にあたっては、しっかりと考えて、事に当らねば、日本の未来はないと思われる。(70代 男)
苦難の道によって今現在があることを知り、この権利をしっかり担わないといけないですね。まだまだ男女平等は完全ではないけれど、希望はあると思います。すばらしい映画、ありがとう。(69歳 女)
命をかけて手に入れた「女性参政権」ですね!「日本国憲法」と同じ様に大切に、次世代につないでいかなければと強く思いました。(69歳 女)
10年前に入会していましたが…チラシは図書館で手にとりました。又最近入会したいな〜と考えていますが…。女性参政権を勝ちとるのに多くの犠牲を必要とする女性の位置って何なのでしょう。(68歳 女)
素晴らしかった! こうした映画を提供して下さる、神戸映画サークルのみなさん、スタッフ、ボランティアの方々、本当に感謝申し上げます。(68歳 女)
ラストの女性たちの行進にウルウル。男性は女性を幸せにするために存在するのに。未だに外では民主的、家の中では封建的な男が多すぎますね。(67歳 男)
不合理に気づき、声をあげる人々がいて、長いたたかいの末に、今の私たちの生活があることを忘れてはならない。選挙権、私もあなたも大事に、しっかり行使しなくちゃ!(66歳 女)
あらためて日本の社会状況や、映画界の物足りなさを痛感しました。(64歳 男)
洗剤や溶剤の臭いとうだるような蒸気に満ちた工場で、怒鳴られながら洗濯物と格闘する女性達。工場主は彼女等を「性の餌食」にもする。主人公は情況を改善するため参政権を求める運動に加わり、静穏な主張の限界から、世間へのアピールのため物や建物の破壊もし、デモに参加して警官に容赦なく殴られ、投獄され酷い扱いを受ける。回りの非難を受けた夫から辛く当たられ、慕い来る子供とも引き裂かれるが、仲間達と勇気を分け合い、女性の未来を開くことを諦めなかった。この百年前の英国女性達の努力は、現在日本人が男女の「普通選挙」を持つための大きな原動力の一つだったと思う。その貴重な仕組みが、さまざまなアメ(利益供与)と鞭(おどし)、言葉のトリック、教育や情報の制限、票の取りまとめの技術などで歪められ、自己中心の議員や大臣が多数を占めている。年齢の達しない幼い人や若い人、寝たきりの方や心身の状態の弱っている人、社会で手痛い目にあい引きこもっている人、生活の術や希望を失いすでに命を絶ってしまった人など、たくさんの投票に行けない人達がいる。みんなのこと、一番大変な思いをしている人のことを考える人にのみ「代表」になる資格がある。(62歳 女)
映画の途中までは「わかる。でもついて行けない。」という気持ちが交錯してました。でもダービーのシーンのあと、善悪ではなくあのようにしてしか事は進まなかったという重さに心が傾きました。たかだかこの百年のことなんですね。私たちが当然の権利に思っていることは。とにかくこうして映画にして知らせてくれてることに貴重な価値があると思いました。(62歳 女)
大変見ごたえのある作品でした。例会場が変更になるので不便です。前に上映していた神戸駅南側、産業センターのほうが交通の便が良いので希望します。(62歳 女)
女性の参政権を得るために、ここまでの戦いをしなければならなかったとは、今の時代に生まれて感謝しなければ。(61歳 女)
力作です。それにしても英国でさえあれぐらいひどい圧迫があるとは。先人に感謝です。(60歳 男)
闘い続けた先の女性たちの叫びが聴こえてくるすばらしい作品でした。キャリー・マリガンの演技はいつもすばらしいと思います。(56歳 女)
すごい闘いぶりだった。あの競馬場での自殺のシーンは、体をはっての抗議と同じ。参政権のみならず、女性に親権がないこと自体、男の子にとってはとても辛い思いをしなければならないのか。差別の上には必ず逆差別が存在する。(56歳 男)
いつも良い映画を見せて頂いております。今回の作品は、本当に遠い昔のことでないと言う事を真剣に考えさせられました。今では当たり前の事なのにイギリスで滞在中、大切な権利だと諭されたことがあり、本当にそう思いました。(45歳 女)
ラストシーンが運動の成就でない点にフィクションの限界、否、現実社会の非情を感じざるを得ない。第一次大戦による男不足が女性の社会での重みを高め、あのロイド・ジョージも無視できなくなった。権力は最後まで己の都合に従ったのだ。そんな制約の中描かれたのは、周囲の無理解に苦しみ、ポリ公の虐待に痛めつけられ、何より母親としての心を揺さぶられボロボロになっていくモードたちと、それでも前に進む力強さだった。我々も言葉より行動を取るべき時かもしれない。Votes for women!(28歳 男)
2017年6月にこの映画を見ることができてとてもよかったです。案内の方「できれば」でなく「ぜひ」見てくださいと言った方がよいのでは。「できれば」では行かなくてもいいかなと思ってしまいます。

映画は毎月楽しく見ていますが、朝日ホールでもう見られないというのが残念です。神戸アートビレッジセンターもいいところなのですが…。(70歳 女)
2回目ですが、1回目は上映館が大阪府・兵庫県で共に一館だけの上映でさびしく思っていたので、映サで取り上げてもらえてうれしかったです。わたしたちの今は、先輩の汗と涙の努力のおかげだと改めて思いました。おかしい!と気づいたところから、人は変わり、社会も変わっていくと思いました。(65歳 女)
メリル・ストリープ、女優、活動家のヒロインか。闘い方に異論はあっても女性の活動家として、参政権を取得するために千人以上の逮捕者を出し、世界の注視の闘い。すごいのとヒロインの女性のひとみがキラキラとすてきです。(69歳 女)
婦人参政権運動の実像については全く無知でした。このような映画を見る機会を与えて下さった映画サークルに感謝です。8月から会場が変わるのも大歓迎です。朝日ホールの座席は私には合わないので。(65歳 女)
英の婦人参政権運動のことはほとんど知りません。日本の何年も先を行く歩みですが、こんな激しい運動があったとは、第一次大戦との関わりなど、この後を見たいと思いました。(63歳 女)
平塚らいてう、市川房枝さん達の長い参政権への戦いのイギリス版ですね。忍耐もここまでで過激な行動に移ったところの映画だったので、彼女たちの正しい訴えがまっすぐに伝わらなかったみたいで、少し残念です。ヒステリックな印象が残ります。もし私があのときに居たらどうでしょう。興味はあるけれど、あそこまで動いたかどうかと思います。参政権も平等権もあたり前の時代にあっては、誰も政治に考えを持とうとしない。結局何も変わらない。ならば自分の家族は守りつつ、仲間同士で身の回りの小さなことにのみ、行動していたのではと。negative な感想でご免なさい。(63歳 女)
今ではあたりまえの男女平等、参政権。ないことがあたりまえの時代の女性のたたかいはすごい。命をかけなければ主張できない時代。世の中よくなったと。でも、今でもたたかわなければ自由は守れない。若い人たちにみてほしいなあ。(63歳 女)
ショーウィンドウを割り、ポストを爆破、ロイド・ジョージ別荘も爆破と過激な破壊活動だけれども、人を傷つけない節度を持っている。そこがいい。革命は現在の社会秩序をひっくり返すのだから、この程度のことは、やむを得ない。「悪法も法」と「我々が排除されてつくられた法は認めない」には後者の肩を持ちたい。官憲の暴力は白昼堂々とふるまわれ、彼らがそれを恥じないことは、今も変わりない。沖縄をみればわかる。厳しい闘いの中でモードが変わっていく様は韓国映画『明日へ』を思い出す。(61歳 男)
「原始女性は太陽であった」とは言え、月でも輝く女性は多いです。私もいつも助けられています。人類の半分に感謝。(55歳 男)
まさに体をはった闘いの数々、カゲキだな〜。そこまでしなきゃだめなのか…。鼻から牛乳を入れさせられた場面はこわかった。「共謀罪」採択こそが共謀だ!(40歳 女)

政治的なものは、個人的にあまり好きでないので…(62歳 女)

NHK夜11時から放映される「ダウントン・アビー」を大変楽しみに見ています。第一次大戦後のイギリス社会の変化が共通していますね。面白く、また感銘を受けました。(74歳 女)
私達があたり前と思っていること、女性参政権も生存権もそれが生まれるまでに、どれだけの時間を犠牲を払ってきたのかを教えられた映画でした。それと捜査のやり方が共謀罪の成立を連想させ、これからも正しいと思うことを主張するには、大きな犠牲が必要なのかと思うと背筋が寒い思いがして、百年前とは思えない現代性がありました。こういう骨太の映画が上映できるのが、映サですね。でもこれからの社会で、「法をつくる」というような運動ができるのでしょうか?「歴史は真理に向かって進んでいる」と私の友人はよく言いますが、すごい決心が居るのだと、少しだけひるむ思いもしました。とにかく、背筋の伸びる映画でした。(61歳 男)
映画を見た人が今にぴったりと言っている。「婦人参政権の運動の映画なのにどうして?」と思った。モードが息子と共に薬局から出てくるところを写真に撮られる。薬を求めての帰りだ。しかし一枚の写真には前後の事情は映し出されはしない。この一枚の写真によってモードは急進派の新しいメンバーとみなされてしまう。これは本当に現在の(これからの)私達のことを物語っていると感じられる。「声をあげること」が今までのようには出来ないのかもしれないと思わせる現在の状況の中で、でもあきらめずあげつづけること。