2016年10月例会『サヨナラの代わりに』

HP用10月

解説

笑って泣いて見つけたものとは

映画化の経緯
 主演のヒラリー・スワンクはキンバリー・ピアース監督『ボーイズ・ドント・クライ』(99)、クリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で二度のアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞の主演女優賞を獲得したハリウッドを代表する演技派女優である。
 スワンクに映画化を進めたのは女性プロデューサーのアリソン・グリーンスパン。彼女は06年に出版され、メディアからも高く評価されていたミシェル・ウィルジェンの小説「You’re Not You」を読んだ時、ALS(筋委縮性側索硬化症)を患う父と叔母がいることもあって、病気と正面から向き合った原作に感銘を受けたという。「ALSを患う人々の尊厳を表現しているところが好きだったけれど、互いに助け合う二人の女性を描いた娯楽作品としても心を動かされた」と語っている。
 グリーンスパンはケイト役の俳優には困難に立ち向かう女性を数多く演じてきたヒラリー・スワンクこそ適任だと考え、スワンクに映画化を持ち込んだ。スワンクは小説に感動し、役だけでなくプロデューサーとしても参加することになった。

 共演には『歌追い人』(00)、『オペラ座の怪人』(04)ではヒロイン役を演じたエミー・ロッサム。監督は『最後の初恋』(リチャード・ギア、ダイアン・レイン主演、08)のジョージ・C・ウルフ。

物語
 弁護士の夫や友人たちに囲まれながら順風満帆な人生を歩んでいたケイト(ヒラリー・スワンク)が初めて身体に異変を感じたのは、35歳の誕生日パーティでピアノを弾いた時だった。やがて難病ALSと診断され、1年半後には歩行器と車椅子に頼り、一人では着替えることすらできなくなってしまう。毎朝メイクをしてくれる夫のエヴァンが出勤した後は、介助人が通って来る日々。ある時、ケイトはエヴァンに無断で介助人をクビにし、大学生のベックを面接する。介助の素人どころか普通の家事さえもできないベックをエヴァンはその場で断ろうとするが、ケイトは患者ではなく友人として話を聞いてほしいとベックを採用する。しかし完璧主義のケイトは、気まぐれで料理すらまともにできないベックと衝突してしまう…(略)
やがてベックが住み込みで介助するようになり、彼女の自由な言動がケイトの心を解放していく・・・。

役作り
 スワンクは「本を読むまでALSのことをあまりよく知らなかった。だから原因も治療法もまだ分かっていないALSをより多くの人に興味を持ってほしかった」と出演の動機を語っている。
 また、患者ケイトの感情を深く掘り下げたいと考え調査も行ったという。
 ALSの患者の多くは人生の最盛期に発症する。米国人では三万人を超え、そのうち約一割は十数年生きることができるが、平均余命は二年から五年。筋力の衰えは四肢、会話、嚥下に影響を及ぼし、呼吸不全へとつながる。しかし、一方で知能には影響がなく、知覚は正常に働いたままである(4ページ以降の「背景」を参照)。
 スワンクはALS患者たちとの出会いについて、「素晴らしいパートナーに恵まれている方もいたわ。助け合う人々は心が震えるほど美しく、愛する人が身近にいることの大切さを思い出させてくれた。明日何が起こるかなんて誰にも分からない。彼らは毎日一瞬一瞬を生きている。私たちも見習うべき」と語っている。映画はスワンクが出会った患者さんたちの優しい世界も描きながら、スワンクはASLの役を懸命に演じている。
 また、監督のウルフはリアリティを追求するために、何十年もALS患者の支援をしてきた公認看護師をコンサルタントとして招き、スタッフ、キャストと共にALS患者がどのように動き、話し、時間と共に変化していくかを学んだという。

原題は「You’re Not You」
 プロデューサーのグリーンスパンは原作の中に描かれている二人の女性の関係に心を動かされたと語っている。映画のテーマはALS患者を描きながらも、メインは二人の友情である。
 ケイトはALSの進行で周りにいた友人たちの関係がまずくなる。外見をみて同情を寄せる付き合いに居心地の悪さを感じる。向上心があり、完璧主義のケイトは「自分よく見せたいと思う気持ち」の強い人である。
 一方、ベックは自由(?)で何事にも縛られない性格。しかし、自分のことにあまり自信がない。ダメな人間だといつも思っている。ミュージシャンを目指しているが、極度の緊張症で人前では歌えない。自分に備わっている才能を知らないでいる。「ALS発症後の寿命は?」と無神経な質問をする女性でもある。
 全く性格が違う二人。ケイトの病気がなかったら出会えなかったかもしれない。

 原題の「You’re Not You」は直訳すれば「あなたはあなたでない」だろう。二人は互いを知ることで、自分を知り、お互いの変化を感じる作品だが、このあたりを鑑賞後話し合えば面白いと思う。

最後に
 監督のウルフは、人生で最も辛い壁にぶつかったとしても、そこに訪れる明るさやユーモア、高揚感を描きたかったと語る。「本作は、たとえ何かを失ったとしても、前向きに生きようとする強さや喜びを感じさせてくれる物語」だと。
 又、最後にベック役のエミー・ロッサムは自ら作曲した「Falling Forward」を歌う。それはどんな時でも志を捨てないと。
 スタッフ、キャストが気持ちを一つにして作った映画だと思う。
(滋矩)
参考資料 「サヨナラの代わりに」パンフレット

ひとくち感想

◎大変よかった  ◯良かった  ◇普通  ◆あまり良くなかった  ☐その他

以前に見のがしていたので今日はとても良かったです。今回で二回目です。(82歳 女)
いつも感動する映画を有難う。私など今年何人かの友と別れたが、哀しい別ればかりでした。(79歳 女)
ALSとは恐ろしい病気ですね。ケイトとベックを通して信じられるものは何かと訴えた心にひびくすばらしい映画だった。でもALSがケイトが35歳という時になぜ発病するのだろう。(75歳 男)
深い深い物語で、久々に感動しました。自分にも思い当たる呼吸器の疾病で将来に共感出来るものでした。(75歳 女)
素晴らしい映画でした。ケイトの笑顔が忘れられません! 出来ることが一つ一つ減っていく…生きていることの意味。ベック最後まで有難う。(70歳 女)
心がこわれるのがこわい。身体のこわれるのは目でみれるけど、心はみえない。耳で彼女の声がのこって涙がどばっと、やっぱりドーばっときました。映画いいーね。(69歳 女)
この映画がいっぱい教えてくれた事、日々の暮らしの中で思いおこし私の力にして行きたい。よかった〜!!(69歳 女)
いい映画でした。予想していたものとかなり違っていましたが、終末医療の問題も含め、考えさせられます。信じられる人がいる、というのは大きな幸せですね。もっと多くの人が観るといい。(69歳 男)
有名なピアニスト(夫にも才能にも恵まれた)からALS患者のどん底への転落。しかしケイトはあくまで前向き。介助人はどこか自信のない奔放なベック。しかし二人はどこかひかれ合う。人間としてだろうか、それとも音楽を愛する心がひき寄せたのだろうか。ケイトの本当の心を理解できるベックはやはり素敵な女性だ。又、ベックの本当の才能を見つけたケイトが素敵だ。年をとっても、どこか不自由になっても、このように過ごせ、死を迎えられたら素敵です。徐々に死にゆく時、自己決定権が尊重されるのは素晴らしかった。肉体が失われても精神が正常なままだととても辛い。最後の自己決定権は本人に任せるべきだ。親族ではなく自分をよく理解してくれる介助人に任せたのはよかった。しかし最後の時「部屋に入ってこないで」とケイトが頼んだけれど、ケイトの苦しむ様子を隣の部屋で聞いていて、ベックは思わず部屋に入り、最後の彼女を抱きしめる。あそこはとても感動した。ケイトを心から愛し、理解していたらやっぱりそういう風になるだろう。その生き様を見つめたベックなら。(69歳 女)
あまり期待して観なかったけれど、久しぶりに涙がでました。悲しいというより、人生を感じるという涙、自分を見ている人より見ていない人にひかれるという台詞。人工呼吸器をつけないで欲しいということ、自然でゆきたいということ、考え深い映画でした。(68歳 女)
人のきづな、人生、考えさせられました。よかった。(68歳 男)
この映画の二人のようにお互いの可能性をひき出せる関係が素敵でした。なかなかそんな友だちはムズかしいけれど、頑張ってつくろう!!(67歳 男)
二人の女優の演技が見事だった。まったく違う性格のコントラストが最後には一つにまとまった作品だった。(63歳 男)
大変良かったです。涙が止まらなかったです。(63歳 女)
ケイトとエヴァンの二人の心のかよわせかたは対等だった。『最強の二人』をみているみたい。本当にその人をおもうことは、真正面からその人を人としてあつかうことですね。この映画をみたら、またかんじ方がかわりますね。生きることのよろこび、かんがえさせられました。(62歳 女)
映サの例会で難病映画?と思ったけれど大変良かった。自由奔放な女学生ベックがピアノ教育もうけたええとこのお嬢さんというのが意外でもあり、納得でもあり…うまい!(61歳 男)
こういう映画がつくられる社会だからこそ、カシアス・クレイも五輪大会の聖火点灯をやったのだと思う。(61歳 男)
映サの例会で難病映画?と思ったけれど大変良かった。自由奔放な女学生ベックがピアノ教育もうけたええとこのお嬢さんというのが意外でもあり、納得でもあり…うまい!(61歳 男)
母から贈られた死ぬほど好みに合わぬ真っ赤なドレスも素直に着る女性は、ALSの発症にも取り乱したり、人に当たったりせず、優しく微笑んできた。奔放に生きているようで、進む道に確信が持てずもがいていた女子大生が、アルバイトで介護に付き、女性の悲しみや苦しみ、怒りを解き放ち、浮気した夫や相手にはっきり抗議する力を与え、楽しく生き生きする事を、一緒にたくさん見つけてゆく。女性の屈託のない喜び様に、女子大生も幸せを感じ、彼女の「私は早く諦め過ぎていた」という言葉に、自分も「人の魂に届く歌を目指し続けよう」と心に決める。(人を不用意に傷つける)言わない方がいい言葉。(人をがっかりさせる)敢て言わなくてもいい言葉。(相手が喜ぶ)出し惜しみせず言った方が良い言葉。(人権や平和を守るため)言うべき言葉。言葉の意味がいろいろな所で歪められたり(逆立ちさせられることも)、必死で訴える言葉が無視されたり、はぐらかされたりし、発言した人や関係者が威され、迫害されたりもします。言葉の用い方に気を配ると共に、宮沢賢治さんの《世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない》という言葉を胸に、諦めないでものを言ってゆきたいです。(61歳 女)
今回の映画は神戸国際の映画館で一回見たのですが、とても感動しましたので、また見たくなり年休をとって見に来ました。チャンスくださってありがとうございます。(58歳 女)
今の時代ならではの映画だと思う。悲しいけれど、素晴らしいいい映画でした。「不治の病」「短い余命」でなくても、肉体は消滅する。なれば、生のパッションを強く感じて、珠玉の如く生きていきたい。この世に生を受けた証しが残るのなら、どんな形でも、いい。微笑みを道連れに旅立ちたい。(57歳 男)
いろいろと考えさせられる内容だった。心の深さや人としての最期のむかえ方など。家と病院というちがうむかえ方をする二人だったが、周りの人たちのことも考えるとどちらがいいとも言えないと思った。(55歳 女)
あの旦那が人気のない所で辛そうに号泣していたシーンがすごく印象に残った。(55歳 男)
いやー、ヒラリー・スワンクさすがです。上手すぎます。エミー・ロッサムも大人になりましたね。ベックの中でケイトはこれからもずっと生き続けるんですね。今月もすごい映画ありがとうございます。(54歳 女)
冒頭、ケイトがまだALSを発症していなかった頃の生活を描いた時にクレジットが同時に(小さくも)映されていたのが示唆的。あくまで本編は一年半後から始まるという事だろうか。事実、一見華やかな生活が虚飾だった事、人間のつながりとはどんなものかが飾りたてられる事もなく描かれている。(27歳 男)
今年の上映作品二回目は『野火』だけで、新しい物に出会えて、どれも心に残るものになっています。ヒラリー・スワンクが好きなので今日のものは特に。(女)
ヒラリー・スワンクといえば『ボーイズ・ドント・クライ』『ミリオンダラー・ベイビー』などの汚れ役(?)が多かったし、『オペラ座の怪人』のお人形さんのように美しい女性がパンクな役で、意外な感じがしましたが、とてもよかったです。(女)
短くても良く生きることが人生である。良く生きることはどういうことなのか教えられた。(匿名)
個人の意思がここまで尊重される社会とそれが映画にできることに、うらやましさを感じます。(匿名)
(紹介にあるように)プロデューサー自身ALSを患う父と叔母が居ながら、原作を「互いに助け合う二人の女性を描いた娯楽作品としても心を動かされた」と語っている通り、二人の友情がメインになっていることで、多くの鑑賞者が感情移入しやすいものになっている。特に介助人の変化(成長)のほうに、おそらくALSではない鑑賞者が惹かれるのではなかろうか。もちろん、主役のALS患者のほうも、単にALSという難病の特徴にとどまらず、広く難病や致命的な病に罹った人が感じる自身や周囲の人々との関係も描かれていることで、より普遍的な物語になっているが、個人的にはケイトが難病ALSと診断されるまでの過程が省略されているのが少し物足りなかった。102分という映画の中で、どこをどう採り上げるかはプロデューサーや監督の裁量であろうから仕方ない。映画を観る上で(あるいは映画をきっかけとして)、鑑賞者により深くALS(を含む難病)を理解してもらうために、紹介や作品背景が非常に重要であり、それがこの「神戸映画サークル」の良いところだ。(匿名)
内容はよく知らずに映画館でパンフレットを手に入れカレンダーに印を入れていました。三日前に「癌と思います」と医者から告げられショックを受けていたので他人ごととは思えず…。主人公の気持ちが良く判ります。あの若さで ALSに侵されながらも 嘆き悲しむより 前向きに 懸命に生きている姿に感動しました。自分にはまだいくつかの精密検査が待っていますがもし癌が現実のものなら彼女のように延命治療を拒否すると思います。少し距離をおいて考える事が出来るのでタイミングよく内容の深い良い映画を見せて頂きました。無責任でだらしない女子大生が主人公の介護人になり様々な体験を通して自己犠牲をものともしない人に変わり外見も普通に品のある女性に変わっていました。凄まじいラストシーンの死は辛く涙がこぼれましたが見終わって何故か心がほっこりしました。

You are not you 涙より、今、腹が立って、怒りでいっぱい、この病気に。そして苦しい。(68歳 女)
病気に打ち勝ち人間のすばらしさを教えられました。(65歳 女)
二回目ですが、同じALSのマリリン夫婦との友情シーンがとてもよかったです。家で最後を迎えたいと思うのは、国に関係なく共通していますね。若い人、若い夫婦、熟年の夫婦、親子の関係をちょっと見直すきっかけもくれた映画でよかったです。(64歳 女)
ヒラリー・スワンクはさすがgood、夫はどういう位置付なんでしょうネ。(61歳 女)
ケイトがベックを介護人として雇った理由は「話を聞いてくれる人がほしかった」といいます。残された人生をどう生きるのかを考えた時に、体の不自由な患者としてだけではなく、喜びや悲しみ怒りなど、人間的な心が触れあえる、人間関係をつくれる人を捜したのでしょうね。直感的にベックを選んだのはなぜなのか。ベックが自分の心を隠せない人間であると見抜いた為だと思います。そういう人間は信用できると踏み、半年かそこらの期間をつき合う中で、自らの生死をゆだねられる人間だと決断します。それと対照的なのは夫エヴァンです。ちょっとした過ちを犯しますが、あれほどかいがいしく介護しても心がこもっていないと見抜いたのです。彼に「重荷を背負わせたくない」といいますが、本心は別ではないかと思うのです。結婚生活が何年かわかりませんが、彼女が35歳ですから、10年ぐらいでしょうね。信用できる、できないは時間の長短でもないのです。(60歳 男)
病気と闘いながら、自分の人生のことだけでなく、夫や介護者の人生も考えていかなくてはいけないなんて、ちょっと悲しすぎる結末でした。(56歳 女)
実は、私自身この三年程、原因不明の病気に苦しんでいるので、昨年映画館でしていたときも、パスっていた作品でした。感情移入して辛過ぎると思ったので。ヒロインの強気もまた夫達への気配りも、日本と比べ、よくわかります。でも向こうの男性は本当によくお世話しますね。私だったら感謝の気持ちから、少しの浮気は許しつつ、ヤンキーの女子大生ともつきあって、最後の日には、夫と女子大生に手をとられつつ、いくのでは…。国民性の違いでしょうか。マリリンの夫もすばらしかった。比べてセレブの友達は気の利かない本当にあーあですね。(63歳 女)

立派すぎる主人公と近しい人々の話ではありますが、感動ものです。日本映画でこのような題材でこうつくれないのが残念です。