2016年6月例会『あの日のように抱きしめて』

HP用06月

解説

愛と裏切り、深い傷を負った心の謎…
アウシュビッツ後のドイツを繊細に描き出した物語

 6月例会作品は、『東ベルリンから来た女』のクリスティアン・ペッツォルト監督とニーナ・ホス、ロナルト・ツェアフェルトが再びタッグを組んだ『あの日のように抱きしめて』です。フランスの作家ユペール・モンティエ「帰らざる肉体」の映画化で、原作の妻を失った男が彼女の財産を手に入れるため顔のそっくりな女を妻に仕立て上げるという物語を、戦後ドイツへと書き換えています。設定から『めまい』を連想させます。
 当然、映画はフィルム・ノワール、少ないセリフだからこそ成り立つサスペンス。夫ジョニーは彼女がネリーだと気付くのか…そのサスペンスが物語を紡ぎ出します。

物語
 1945年、ベルリン。ネリーは強制収容所から奇跡的に生き残ったものの顔に大きな傷を負い、再生手術を受ける。過去を取り戻すために夫ジョニーを探し出そうと奔走するネリーは、ついにジョニーと再会を果たす。しかし、ジョニーは顔の変わった彼女が自分の妻ネリーであることに気づかないばかりか、収容所で亡くなった妻になりすまして遺産をせしめようと彼女に持ちかける。夫は本当に自分を愛していたのか、それともナチスに寝返り自分を裏切ったのかを知るため、ネリーは彼の提案を受け入れることにするが・・・。

 クルト・ヴァイルの名曲「スピーク・ロウ」がドラマ展開の上で、重要な役割を果たしています。およそジャズ演奏者・歌手なら、必ず演奏し唄ったはずの名曲。クルト・ヴァイルについては背景でも触れていますが、ベルトルト・ブレヒトと作った「三文オペラ」が有名です。彼は亡命後、アメリカに渡り、多くの優れたミュージカルを作曲しました。「スピーク・ロウ」は、1943年のミュージカル「ヴィーナスの接吻」のなかのナンバーで、エヴァ・ガードナー、ロバート・ウォーカー主演で映画化、『ヴィーナスの接吻』という邦題で公開されています。今作での「スピーク・ロウ」は、冒頭ではコントラバス、中程では、クルト・ヴァイル自身のピアノとヴォーカルで聴けます。もう一回、どこでどのように聴けるかは、映画を見てのお楽しみです。
 この作品ほど印象的かつ効果的に音楽が使われている映画は多くないでしょう。ラストで、たぶん昔のようにジョニーのピアノ伴奏でネリーが歌う場面が秀逸。歌声に彼女の決意や想いが込められた見事な歌声です。
 この作品の中では、主人公たちの感情や状況はそれほど説明されません。人によってはその描写を物足りなく感じる人もいるかもしれません。しかし、よく見ると実に繊細に描き出されているのです。例えば主人公が名前を聞かれる場面。ジョニーから名前を聞かれたネリーは「エスター」と答えます。エスターはユダヤ人女性に多い名前で、ジョニーはそれを聞いて「その名前は少なくなったね」とつぶやきます。こんなところにも戦争の傷跡がさりげなく描かれているのです。
 ネリーの感情は揺れ動き続けます。微かな嬉しい出来事があるかと思うと、現実に突き放される。それらが少しずつ交差し、彼女の感情が揺れ動く様が丁寧に描き出されています。
 ジョニーは妻ネリーを裏切り、収容所へ送ったことで生き延びてきました。だからでしょうか、色々な妻の面影や記憶に触れても認められない。それは、妻への負い目から認められないのか、またはかつての妻への愛情が微塵もないのか。一方、ネリーは心のささえにしていた夫ジョニーの存在を消すことができず、唯一、自分を思い愛し助けてくれたレネの助言も心の叫びも耳には届かず、ただひたすら元の自分に戻ろうとします。収容所を生きて出てきたのだから、彼女の心の傷は誰にも計り知れません。
 ネリーと同じく収容所の経験があるレネのように見た目の傷がない人こそ実は乗り越えるための強さが一番必要なのかもしれません。必死で、約束の地イスラエルでの新しい生活を望んでいますが、唯一心を許せるネリーは自分より夫ジョニーを求めて振り向く素振りもない様子。寂しさと同時に、極限の孤独に耐えられなくなったのでしょうか。彼女が自ら死を選ぶ場面は心に突き刺さります。実際、彼女のように収容所での過去に飲み込まれてしまった人々も多かったことでしょう。
 戦後、強制収容所から生きて帰った人たちはどんな気持ちで生き抜いたのでしょうか。トラウマの渦中、生き残ったことへの罪悪感、ナチスドイツへの憎しみ…一言では言い表せない感情が中で渦巻いていたことでしょう。ネリーであってもレネのような選択をする可能性はあるわけで、その時の状況によって人はどっちにもなってしまう可能性があることに思い至ると彼らが背負った過去の恐ろしさをひしひしと感じます。

 この作品を観て、なぜネリーがジョニーにそこまで執着をするのか?そしてなぜジョニーは元妻だと気が付かないのか?ということが腑に落ちない方もおられることでしょう。
 なぜネリーはジョニーという存在に執着するのか。もし彼がネリーを見分けることができたなら、彼女はネリーとして再生することができるからではないでしょうか。収容所では非人間的な存在となり、あらゆる人間の尊厳が奪われました。人が変わり、かろうじて生きているというだけで戻ってきた彼女にとって、ジョニーという存在が生きる希望となっていたのかもしれません。破壊された彼女の象徴として、彼女の顔が深く傷ついていると考えると納得できるのではないでしょうか。
 収容所で自分自身を壊され失ってしまったネリーは自分がどんな人間であったのか理解することができない状態になりました。自分の好きなこと、心から笑うこと。唯一ジョニーに会うことで、彼女は以前の自分に戻ったと感じることができるのです。自分自身が破壊された人間は以前とは別人になってしまう。ましてや彼女は顔が深く傷つき、彼女自身の意思とはかけ離れ全く違う容貌へと変わっています。そんなネリーの状態を考えれば、ジョニーが彼女を認識できないのも致し方ないことだと思えます。
 人間性を破壊され、バラバラになってしまった自分自身をつなぎ合わせようとする一人の女性の話と理解すると、この物語はまた違う輝きを帯びてくるのです。そう考えるとなんと深い話なのでしょうか。
 人にはその人それぞれの辛い過去があり、振り捨てていかないと生きていけないのかもしれません。しかし、すでに喪失したと思った過去を、これからの人生の支えとして選ぶ事もあるでしょう。ネリーの選んだ人生をよしと思うかどうかは、見る人によって異なることと思います。ネリーの選択を、よし、と思いたい。ネリーがジョニーの演奏で歌う「スピーク・ロウ」。ネリーの歩んだ道のりを想って聞くと、より彼女の歌声が力強く聞こえてくるのです。
(陽)

ひとくち感想

◎大変よかった  ◯良かった  ◇普通  ◆あまり良くなかった  ☐その他

人は身を守るためにはすべてを投げ出す。安全が確保されれば財産が欲しくなる。人はかくも弱いものか。こう思うのはわたしがいやしいからだろうか。(75歳 男)
最後までハラハラしどうしでした。深いサスペンスとネリーの愛が心に残っています。(74歳 女)
静かに、深い感動を覚えました。バックに流れる音にも魅せられました。(74歳 女)
ラストの「スピーク・ロウ」はとてもよかった。ネリーの本音をこめて。その反面、周りりの親しい友人や夫を信じられなかった失望も込めた、心にしみる歌だった。主演女優が最高!(68歳 女)
シネ・リーブル上映時にとばした映画です。みてよかった。ネリーが夫に、他人になりすまして財産を自分のものにする手伝いに誘われた時、受けたのはどうしてだろう。友達が自殺したのは、彼女を現在につなぎとめておいて、ネリーが自分の想いとは反対の側へいってしまったと思ったのが一因だろうか。ラスト、とても印象的です。(67歳 女)
見事な幕切れ。「Speak Low」の歌詞がピッタリあって…。気づいたときはIt’s too late.元夫に見事に復讐をしたのですね。(65歳 女)
極限状態では人は人肉でも食べてしまう存在だというようなことを思い起こさせる映画でした。(64歳 女)
ずっしりとこたえる映画でした。涙はかえって出ない。最後の「スピーク・ロウ」ですべてはっきりとわかるという設定で…。ネリー、ジョニー、レネ、それぞれの思いが屈折していて、余韻が深かったです。だから戦争はしてはいけないということですね。今のこの時期に合った選択と思いました。(61歳 女)
妻本人であったと気づいて、夫の顔が喜びに輝く瞬間を期待し、自分になりすます屈辱的な芝居を強いられ続ける主人公。 妻を裏切った後悔や、その安否を気にする様子もなく、妻の財産を狙い、見た目の幾許かの変化で妻を認識すらできない夫は、もともと温かい気持ちがなかったのでしょうか。 つらい記憶を消してしまい、状況に順応し過ぎただけでしょうか。自然災害や事故、又、意図的な迫害、戦争などによって、家族や隣人を見捨てざるを得ない場合があります。愛の深さが非情にも試され、人々が引き裂かれるのは、つらい事です。 整形で顔を変え、新天地で暮らす事を勧めた女性。主人公の夫への気持ちが揺るがぬと知ると、夫の不実の証拠を送り届け、自ら命を絶った。あなたは、自身も心にたくさんの傷を負い、憧れか愛を抱いていた主人公と一緒に人生をやり直したかったのですか。(61歳 女)
リアリズムで考えるとありえない物語設定でイマイチ食指が動きませんでしたが、お芝居、メロドラマとしてとても楽しめました。駅に迎えにきた友人たちも夫とグルだった、という展開に唖然!(61歳 女)
とてもよかった。強いネリーの眼の演技、弱気なダメ夫を演じる夫役、平和な時代なら相性ぴたりのcoupleだったのにネ。(61歳 女)
冒頭のコントラバスの一音から終了まで、完全に別世界に連れて行かれました。今も余韻の中にいます。ジョニーが少し健康的すぎたかな…でもそれでバランスがとれたのかもしれません。クルト・ヴァイル自身の演奏も聴けてサイコー!(54歳 女)
顔がちがったようになってしまったら、夫には見分けがつかなくなるものなのだろうか。わからなくなるほど、当時生きるということだけでみな必死だったのだろう。今、身のまわりで、人のことばを借りると「水に落ちた子犬をたたきのめす」ようなことが、よく見られることが、とても不安。つまらないことに気をとられて、肝心なことを見失わないようにつとめたい。(53歳 女)
ラストシーンが演能のようでとても印象的でした。(50歳 女)
二度目の鑑賞でしたが影絵のような美しい画と余韻を残すラストが素晴らしかったです。夫の裏切りを認めたくはないネリーの試すような歌声が沁みました。(49歳 女)
お恥ずかしながら、予備知識なしで見たのですが、こんな結末とは思いませんでした。最後にはリュウインが下がりました。いつも貴重な作品をご紹介いただきありがとうございます!(女)

戻らない愛を見事に(75歳 女)
もぎりで「普通」にするには?でよかったにするには、どこがと自問してカフェしてたら、まわりの方がいろいろ感想や考えを言っていただいて、主人公の最後の心がわかって「よかった」にしました。(71歳 女)
前々から楽しみにして。大人の映画と結構サスペンスタッチ。もう一回みたいですね。最初のシーンで女性の大切な「顔」をきずついた「顔」を兵士にみせるところ、入れずみがみえたところ、こわいこわい感じ。すごーい。(68歳 女)
前回に見た時は恋愛ものとしては、あんな男に執着するなんて、とネリーのことを思いましたが、今回は違いました。学習会があってよかったです。ナチ、ユダヤ人のこと、ドイツの歴史背景も監督は言いたかったようです。二人の関係はどう取ってもよいように終っています。そこは見事だと思いました。(64歳 女)
ラストシーンの歌がとてもよかった。歌詞のとおり「幕がおりたら…」ジョニーのびっくりした顔。ピアノを途中でやめてしまうほど、びっくりしたジョニー。ネリーが本物ってわかったのだろうか? もっとこわい映画とおもっていたけどちがっていた。(62歳 女)
ジョニーは妻をナチスに売った後に、良心のすべてを悪魔にゆずりわたしてしまったのだろう。戦後、妻の一族が全滅したのを見て、その財産をかすめとろうとした。その為に離婚届を盗み出そうとする。それに失敗すると、妻のニセ物を作り出して奪い取ろうとする。この映画が始まった時点でこの男は終わっていた。しかし、ネリーはそんなジョニーに切ないほど恋いこがれていた。収容所で生きのびられたのも「彼のもとに帰りたい」一心だったという。彼の「悪だくみに加担」していく中で彼女は段々と美しくなる。レネの口から離婚届が出ていたことが明らかにされた時、観客にもジョニーの正体がわかる。その後はネリーとともに逆転のカタルシスを追った。ラスト、白々しく駅で迎えた友人たちに対し、ネリーはスピーク・ロウを歌い、入れずみを見せることで、、彼らの罪を認めさせようとした。しかし、戦後であるにもかかわらず、ユダヤ人のレネは自殺し、ネリーは深く傷ついた。ドイツ人は反省もしていないという構図はどうなのよと思った。(60歳 男)
重くるしいつらい映画で男にも女にも感情移入ができない。話の展開はやはり無理があると思うのですが…。(60歳 男)
最終的に夫婦が元通りになるのがよかった。ただ、あの友人が自殺するのが呆気なかった。(55歳 男)
ジョニーという愛称で呼ばれたり、筆跡がそっくりだったり、目の前にいる女性が元妻だと分かるポイントはいくつもあったのに、最後の歌を聴くまで分からないという点はツッコミ所です。鑑賞後ふり返って伏線の多さに驚かされた。(39歳 女)
予告編に影響されてか、サスペンスを待ちすぎてネリーの心情を追いきれなかった気がする。同じように追いきれなかったのがジョニーだ。あれほど愛していたのなら、なぜあの時点で分からなかったのか?この矛盾と、あの余韻あるラストが独特の後味を残している。直接関係はないが、歌がカギを握っていたのが、先月の映画と共通していて興味深い。(27歳 男)
学習会がとてもよかった。学習会は観たあとの方がいい。見る前に知りたくない。自分の見方と他の人の見方が比較できてよかった。(女)
「妻は、死んだ」と思いこんだ所からはじまるジョニーの誤算、すべてがくずれていったラスト、仲間の表情も意味深だった。(匿名)
今朝偶然見たドラマも「結婚サギ」でした。それはドラマだからもっと劇的だったけれど、私としてはもっとひどいめにあえばいいと思いました。ネリーも用がなくなれば「エスターありがとうゴクロウサン」と「片づけ」られてしまうのだから。「早くズドンとやっちゃえばいいのに」と思いながら見ていました。なぜ袖をまくって歌いはじめたのかわかりました。(女)
映画ならではの作品だった。しかしネリー以外の二人の感情がわかりにくい。ジョニーにしても、レネにしても心の葛藤を表す場面がもっとあればラストシーンがより切ないものになっていたはずと思うのだが・・。(女)

予備知識のない(事前の案内を読まなかったので)深読みのできない僕はシンドかった。(72歳 男)
難しい映画だった。顔がちがっても昔のネリーという友人たちと、妻と認めないが利用する夫とはグルだったのかな?お互いしかわからないエピソードや身体的特徴から夫あるいは妻とわかるはずだから。なぜ、それがこの映画のシナリオでは、なかったのだろうか。単純すぎるからか。(71歳 男)
常識的にあり得ない。顔が変わっていたとは言え、元妻かどうか分からないというのはないだろう。(53歳)
サスペンスのようなハラハラ感はあったが、結末がよく理解できなかった。(匿名)

1.女主人公と夫の愛情の違いが明白で、その交わりのない点が悲劇を呼んだと言える。平和時も本当の愛を確かめ合う夫婦だったのか、疑問を感じる。ラストのニーナ・ホスの後ろ姿が全てを語っている様で余韻を感じた。戦争が本当の愛を気付かさせたとは、皮肉な結末であった。二人の心理描写が印象的であった。
 2.取り上げて欲しい作品 それぞれの国で抱えている問題、社会性のあるテーマをお願いしたい。例:人種差別、民族紛争など(79歳 男)
真実の愛はあったのか? 戦争とはむごいもの。人の人生を狂わせる。(匿名)