機関誌4月号 通巻772号より抜粋

原題:YA TAYR EL TAYER
監督:ハニ・アブ・アサド 
出演:タウフィーク・バルフム
2015年/パレスチナ/98分/配給:アルバトロス・フィルム

歌声が世界の壁を越えていく

 アラブでは知らない人がいないスーパースター、ムハンマド・アッサーフ。優勝を目指し中東のアマチュア歌手が競い合う人気テレビ番組「アラブ・アイドル」で、2013年見事優勝したガザ地区出身の歌手です。この番組では投票制で優勝が決まる為、暮らす場所や宗教、政党が異なるたくさんのパレスチナ人が「ムハンマド・アッサーフを支援しよう!」と呼びかけるキャンペーンを行ったそうです。彼がそんなに多くの人々を動かしている理由は彼の歌唱力のみならず、パレスチナの人々の心に響く、純粋な祖国への想いを綴った歌詞でした。

 「愛するパレスチナ…アラブの人々よ、祖国の何と尊いことか
  クーフィーヤを掲げよう、高く空中に振りかざそう
  最初の号砲が旅路の物語を告げる
  時がくれば、僕らは全てをひっくり返すだろう
  祖国よ、あなたのために僕らは立ち上がる
  闘いの日、僕らは勝利への道を照らし出すだろう」
  (※意訳・抜粋)

 「クーフィーヤ」とは、頭にかぶったり首に巻いたりする布のこと。故アラファト氏が頭に被っていたことから、白黒模様のクーフィーヤはパレスチナの象徴とされています。パレスチナの人々の長い闘いを讃えて、希望を朗々と歌い上げる彼の歌声に、聴衆は大歓声。勝手にステージに上がって踊り出し警備員に退場させられる(!)おじさんもいた程の盛り上がりを見せました。
 情勢や政党、主義主張が異なり、時に温度差もある西岸とガザ。その間を音楽と詩で繋いでみせた彼に国内外から注目が集まり、スーパースターとなった現在も歌手を続けながら国連パレスチナ難民救済事業機関青年大使を務めるなど平和への活動を続けています。
 彼をモデルに製作されたのが、本作『歌声にのった少年』です。この物語に感銘を受けたイスラエル出身で『パラダイス・ナウ』『オマールの壁』のハニ・アブ・アサド監督が映画化。ムハンマドと姉ヌールを始めとする子どもたちを生き生きと演じるのは、オーディションで選ばれたガザに暮らす少年少女たちです。アサド監督は、カメラに映る部分にも映らない部分にも、常に信憑性を求めることが、この映画の重要なポイントだと考えました。だからこそ本作では、スタッフが安全に行き来することが困難であるにもかかわらず、ガザでロケを行った初めての国際映画となりました。

物語
 紛争の耐えないパレスチナ・ガザ地区で暮らすムハンマド少年。彼の夢は「スター歌手になって世界を変える」こと。仲良しの姉ヌールと二人の友だちとバンドを組み、拾ったガラクタで楽器を作り、街中で歌っていた。だが、ムハンマドの声が「最高」だと信じるヌールは「カイロのオペラハウスに出る」というとんでもない目標を立てる。
 賞金稼ぎと練習を兼ねて結婚パーティで歌い、聴く者に言葉を失わせる美しい声で人々を魅了していくムハンマド。だが計画は予想もしない形で終わりを告げる。ヌールが重い病に倒れ、両親が治療費を用意できないまま亡くなってしまったのだ。姉との約束を守るため、ムハンマドはガザの壁を越えて、オーディション番組「アラブ・アイドル」に出場することを決意する―。

 ムハンマド・アッサーフの半生を映画化することで、抑圧下のガザ地区で人生を送るパレスチナ人への応援歌となっており、実際のガザ地区で現地ロケを行った前半は子どもたちの夢と活力に溢れています。本作は、歌が上手な少年が有名歌手になったという単なる成功物語ではなくて、紛争地に暮らす少年が絶望的な状況でも希望を見失わずに、明るくたくましく生きる姿を描いています。
 海辺を走り回る子どもたち、色鮮やかな市場を闊歩する人々、テレビを囲む普通の家族団欒の日々が描かれており、ガザ地区の住民の生活が生き生きと映し出されています。
 この映画の前半、主人公の子ども時代は、秘密トンネルを通ってエジプト側から「ワクドナルド」を配達するバイトがあったりしたのですが、後半、彼が20歳を過ぎた頃にはビザも容易にはとれないようになっていて、情勢の厳しい変化がうかがえます。そのため余計に、ガザ地区からの出入りを制限され、満足な医療も受けられない、夢なんて見ても仕方ないと諦める姿がつらくて、なんとかならないのかと怒りと焦りを感じるのは私だけではないでしょう。
 ガザ地区の荒廃しながらも活気ある様相や、大人が子供から魚や小銭を盗むなどの世知辛い状況も仮借無く映し出されていて、それだからこそクライマックスに人情を発揮する幼馴染の宗教家、国境警備員、闇屋たちの心意気に胸を打たれます。

 悲しいのは、映画みたいなセンセーショナルな事が起こっても、パレスチナ情勢が何も変らない事です。巨大な「分離壁」に囲まれ、「天井のない監獄」と呼ばれるガザ地区で、瓦礫の山の中で死と隣合わせに生きなければならないパレスチナの人たちの、残酷で過酷な運命には胸が締め付けられます。ガザ地区では2014年もイスラエル軍とハマスによる戦闘で、2200人以上が犠牲となり現在もイスラエル軍による空爆が繰り返されています。物語の背景に映るガザの無残に広がる瓦礫の山の風景に衝撃を受けました。

 ハニ・アブ・アサド監督は次のように言っています。
 「ムハンマドの物語には二つの段階があります。希望と不屈の物語、そして成功の物語です。パレスチナではこの60年間、敗北の物語しかありません。勝利の物語もなければ、サッカーで勝てるチームもなく、1960年代の革命も失敗に終わりました。しかし今、我々パレスチナ人が待ちに待った、成功の物語を手にしたのです。興味深いのは、ムハンマド・アッサーフの物語は、勝利の物語ということなのです」。
 パレスチナが困難な状況にあるなか、民族の想いを歌いあげる彼が希望の象徴になったのは想像にかたくありません。それだけにパレスチナ民族の想い、期待を一身に背負い潰れそうになりながらも、ガザ地区住民の顔を思い浮かべ美しい故郷の海を想ってプレッシャーに打ち勝ち、遂に夢を叶えるシーンは、歌声があらゆるものを越えていく感動に包まれます。
 実際のムハンマド・アッサーフの歌声は美しく彼の歌を聴いていると、歌詞の内容はわからないけれど心がうきうきしてきます。実に楽しそうに歌う彼の姿をみているだけで、彼が大スターなのだと納得してしまいます。ラストは実際の歌番組の場面と本人の歌声で余韻を残しています。ぜひ彼の歌声もお楽しみ下さい。(陽)

【参考文献】
日本国際ボランティアセンターHP
『歌声にのった少年』パンフレット